はてなキーワード: アッラーとは
つか、勢いと思いつきでコピペ改変したけど、あれって改変しやすいけど、伝えるのにはまったく向いてないな、やっぱり。
宗教や聖書でキモイってのは、アニオタキモイと同じなんだと思う。「必死だなw」って言えない程の必死さキモイってやつ。
日本でマイナーなキリスト教やブームでしかないハリーポッターやアニメ鉄道その他オタ趣味に真剣だと、誰も知らないよ、っていう事に必死に人生賭けてる風に見えてっていう。
なに必死なんだwっていうKY。
ただ、これって必死を否定してるんじゃなくて、必死の表明を否定してるんだよね。
それが良いのか悪いのか分からないけど、日本人感覚の宗教への対応なんだと思う。
黙って信じてれば良いんだと。鰯の頭かキリストかアッラーかは知らないが信じろと。
信じてればツベコベいわないっていう。
あと、コピペ
あれの良さは、対象の否定とも、否定する風潮の否定とも、対象に対する思いの卑下とも取れるところかな。
必死さを緩和できる。
「神」って言われてなにを重い浮かべる?
たぶん違うよね。
日本で神っていうと、神話のアマテラスやスサノオ、ゼウスとかサタンとかか、もしくはイエス・キリストやアッラーのような、人の形をしたものを指していて、「存在しますか?」って聞かれると、作り話だからね、証拠はないからね、っていう考えになるんじゃなかろうか。
でも、たとえば、「この岩に触るとご利益があるんです」なんていわれると、触る人は多いし、お守りを買う人は多いし、初詣をして、賽銭をなげ、幸せを祈るよね。
その時、だれに祈るのだろう。だれのご利益なのだろう。別に、岩や木を神とは思ってないのに。
そんな時、はっきりしたなにかがあるとかじゃなく、はっきりしない、空気とか雰囲気とか気持ちとか、そういうものの延長としての、「なにか」が、その場や物に「宿っている」って思う。そこにはリアルな人物ではなく、仮想化された人物、つまり擬人化があると思うんだよね。それを指して神様という。
あと、「宗教」
フス派が敗北して弾圧されて、カトリック一色になって
日本も同じようなことがあったね。キリシタン弾圧とか檀家制度とか神仏分離とか。
そういう宗教が力によって強制された時、儀式や建前として受け入れても、そこに神はいないと思うんだよね。
そういう歴史が現在の宗教に引き継がれていると神ってのが薄くなるのかな?って思ったけどどうかな。
仏教とか儒教の国はどうなんだろう。日本もそうだけど、ご先祖って神じゃないんだよね(いや、そういう考え方があるのは知ってますが)。
それがかなり大きな影響を与えると思うんだよね。