差別(a.k.a.区別)にまつわる空中戦を見ていると、まだそんなレベルの議論してるの?としか思えんのだが
なんかSNSの人ってまるで差別を「堕ちてしまう暗黒面」みたいな認識をしているように見える。
鬼滅の刃で登場人物が鬼堕ちするような、普通の人間じゃない、特別に穢れた者だけが持ってしまう悪性、それが「差別」。みたいな。
そんなんじゃ全然ないんですよね。
普通の人間が全員持ってる認知なんですけど・・・。
なに「自分は持っていない、悪の他人だけがもっていて、それをやっつけてやる」みたいな態度とってるんですか? えんがちょできるとでもお思いで?
おまえもしかしてまだ 自分が差別者じゃないとでも思っているんじゃないかね?
人類皆差別者よ。
全員持っているものなのに、さも「特別な悪人しか持っていない性質である」という誤った認識にしてしまうことで、「自分は善人だからそんな差別心などは持っていない」、しかしメタ認知能力で「差別に該当する認識を実際自分もしていることに気づくことがある」という認知的不協和が発生したとき「差別じゃない、区別だ」とかいう迷言が出るんですわな。
「俺の気に入らない種類の差別」だけを選択的にポリコレ棒で殴り続ける鬼のような人間が表通りを闊歩するのだから、それから逃れるために認知がおかしくなってしまうのも仕方がないのですが。もちろんポリコレ棒をもった鬼にも差別心はあるのですが、それに気づくだけのメタ認知力があれば棒は持たないですね。
誰しもが持っている差別の心理・認知バイアスを
開き直るでもなく、良心の呵責に苛まれすぎるでもなく、
自覚し、瞑想的に付き合っていく方法を探る。
それが哲学とか仏教の説法だと思うよ。