・正論を言っても何も解決しない場合 ・相手が傷つく場合 ・相手が好きでやってるだけな場合 ・笑いを求められている場合 ・皆わかってて敢えて言ってない場合 ・言うべきなのは自分...
相手が、カリカリしている20歳異常の女の場合は、完全アウト
正論が正論である以上は正しいはずだし、 正しくない場面があるならそこでは正論ではないというだけ そして正しいことを言ってはならない場面なんかないべ
あるけど強引に解決する ワイの利益になるし相手の利益にもなる場合はそうしてる
適切な発言は正論じゃなくね 正しい論だぞ
でもセイロンティーはみんな好きだろ?
俺もその二つは区別してるよ でもって「正しい論」が「適切な発言」でないシーンなどないしあるべきでもないって言ってる
あるぞ 組織の順列を乱す場合 意識的に無視するけど
組織の順列が正論に影響するならその場面での正論ではなかったというだけだし、 組織の順列にかかわりがなく正論なら正論。 つーか、「正論」って結果の話でしかなくね? 結果と...
自由落下した鉄球はやがて地面に達するくらいに明白だけど 「責任を取りたくない」「面子を潰したくない」ことってある ワイはそういうの敢えて無視するやで ドラマみたいにハッピ...
そういうしがらみを無視しなかったら「正論」って言わないんじゃないか? そこでしがらみを考慮しちゃうと良くて「適切な発言」、悪くて「気休め」とか「お追従」になっちゃうぞ
けど、お前一つも正論言ってないじゃん
ここでいう「正論」は、君のいう正しいこと、ではなくて、一般化した場合に正しいとみなせる解のこと。 大抵は過度の一般化のせいで属人性や個別の状況を無視してるから、正しくな...
属人性や状況にも色々あるじゃろ。 例えば正論を実行できない理由が意志薄弱だったりするとそれは論の問題じゃなく人の問題となるじゃろ?
その通りだな。 そして人の問題であるならば、人の問題を解決から意見を述べることが、問題解決の上では正しいこととなる。 「正論」を述べることではなく、ということになる。
俺は必ずしもそうは思わないな 時には正論をぶつけ思い上がりや怠惰を粉砕すべきだと思う
時には、なら、それで構わないと思うよ。 状況にあった発言をせよ、というだけのことであって、何も常に空気を読んで相手におもねろ、という話じゃない。
大抵の人の中では今や「状況にあった発言」=「空気を読んで相手に阿る」だということになってんじゃん。
大抵の人がどう思ってようと「正しいこと」は変わらないのだから、自分は正しいことをすればよくない?
ほんこれ ただし他人の財産と健康を傷つけない場合に限る だぞ
そして「正しいこと」=「空気を読まないこと」という定義が生まれたのであった...
・視点を変えると誤りになる場合 は、上のどれかにほんのりかすってる気がするんですけど…。 「それぞれ見解の相違であるだけで、一つの事象について複数の正論が存在する」時も...
いつものリベラル叩き
選ぶのは当人で自己責任 つまり自由です
結果が分かっていて「こうすればよかった」と反省しているのに 正論ぶっこんで来る奴
つまりお母さん
産経新聞の『正論』より今はなき『諸君』の方が好きだった俺の前