20年と少し前、自分が小学生だった頃、実家の固定電話に留守電用のボイスを吹き込んだことがある。
当時の固定電話にボイスを録音するには、電話機本体に小型のテープをセットして、カセットテープよろしく受話器から音声を吹き込む代物だった。
録音ボタンを押して動き出すテープに喜び、言葉を吹き込んで再生されることにさらに喜び、巻き戻して再生すると自分の声が聞こえてくる。
自分の声は自分が聞いている声と少し違っていて、少し恥ずかしい気持ちになりつつも、まるでおもちゃのように遊んでいた。
(我が家では留守電を使っていなかったので、再生されないことを知っていた)
ある日、固定電話にいたずら電話がかかってきたことがあった。
小学生の僕が電話に出ると「入れてぇ...。おマ○コにぃ...。入れてえ...」とやばい奴からだった。
喘ぎ声が混ざりつつ、ピンクと紫が混合されたような色が声から見えるようだった。まさに妖艶。
面食らった上に性の知識がなかったため、僕は「へ?入れる?なんですか?何を?」と困惑していた記憶がある。
「体調悪いんですか?へあ?」みたいにテンパっていたと思う。
電話先の女は「入れてぇ...。おマ○コにぃ...。入れてえ...」を繰り返している。吐息が受話器越しに聞こえてくることがリアリティを助長させた。
僕は怖くなって切った。鼓動が早くなり、なんだか気持ち悪かった。母親が出ないでよかったとも思った。
切ってすぐ母親に「なんの電話だったの?」と聞かれたけれど「...なんか間違い電話だった」とそっけなく返した。
それから少し経ち、小学校の保健体育で性について多少の知識を覚えた。
授業でセックスについて学ぶとき、他の男子は茶化すようにざわついている中、僕は一人呆然としていた。
──あの電話、そういう意味だったのか!
このときようやく合点がいった。
世の中には女性でも異常な性欲や性癖を持つ人がいて、そのはけ口に我が家の電話が利用されたのだ。
なぜあんな電話が我が家にかかってきたのかようやく理解できた。ああ、すっきりした。いや、ムカつくな。
その日はその電話のことが頭の中から離れないで学校から帰った。
帰っても両親はでかけていて、家には誰もいなかった。
僕の頭の中にはあの妖艶な声が蘇ってくる。いかん、ムラムラしてきた。
保健体育の授業を少し恥ずかしそうな顔で聞いている女子が頭に浮かんでくる。
あんな授業を受けて、いたずら電話のことを思い出し、今すぐ発散したい気持ちになっていた。
AVなんて家にない。エロ本ももちろんだ。スマホやケータイもないので、ネタがない。
それなのにこの年齢のリビドーに抗える人間など存在しない。僕は発狂しそうになっていた。
──あああああ!あの電話がまたかかってきたらいいのに!
すっかりおかしくなっていて、僕はあの妖艶な電話の女を求めていた。
今なら君の異常な性欲も受け止めてやれるかもしれない。
当時テレフォンセックスなんて概念はわからなかったが、僕が相手をつとめたい。
もちろん少し待ってもかかってこない。何か手はないのか...。
...そのとき、僕は天啓に打たれた。
そして、考えるより先に体が動いていた。
固定電話の前に立ち、テープを巻き戻す、録音ボタンを押す。
精一杯高い声を作り、「入れてぇ...。おマ○コにぃ...。入れてえ...」とつぶやいた。
停止ボタンを押して、テープを巻き戻し、再生ボタンを押す。
声変わりする前の少し高い声で「入れてぇ...。おマ○コにぃ...。入れてえ...」と聞こえてくる。まぎれもなく僕の声だ。
あとはイメージの問題である。これは僕の声ではない。己を洗脳しようと何度も刷り込んだ。
結論として、僕は自分の声でオナニーを果たした。
終わった後、情けない気持ちでいっぱいになった。
賢者タイムの中、テープから自分の声を消すのがめんどくさくなり、適当なところまで早送りしておいた。
どうせ留守電は使わないし、テープをかなり先まで進めておけば大丈夫だろう。そう思った。
その日は何してんだろうなあと思って寝た気がする。
そしてまた少しときが経ち、中学生のころだったと思う。
学校から家に帰ったら、固定電話の赤いランプが点滅している。
ボタンを押すと留守番電話が再生された。
「...あ、あの○○さん?え、つながっているの?あの、回覧板、届けにきて。え、あ、聞こえる?ええと...雨だったから、また、あの伺いますので...」みたいな内容だったと思う。
へー留守番なんて入れたんだーと思ったが、一瞬で戦慄が走った。
...なんでこの人こんなにキョドってるんだ...留守電メッセージで何を聞いたんだ...。
なんだか嫌な予感がする。
PHSを買ってもらっていた僕は、静かにポケットからPHSを取り上げ、自宅の番号をダイヤルした。
目の前の固定電話が鳴る。
そして、留守電に切り変わる。ボイスが再生される。
「入れてぇ...。おマ○コにぃ...。入れてえ...」
おわり