冬季五輪ですごかったのは「日本人」じゃなくて、実際に活躍した個々の選手だろという論調と 慰安婦問題や太平洋戦争で犯した罪を、「日本人」として恥ずべきという論調 どういう理...
冬季五輪には(公的なバックアップはあるだろうが)個人が参加したのに対して、戦争には挙国一致で取り組んだから。
その理屈なら今の日本人の殆どはその時代に生きてなかったので関係無いよね。
たとえば個人と個人の付き合いのなかで相手に「前の戦争の謝罪」を求められたら左翼だって良い顔はしないだろうよ。 (だからといって「俺には関係ねえよ」なんて面と向かって言う...
左翼言論人は逆に親切にされてなんとアジアの人々の寛容なことか、それに比べて我々日本人は〜とか言い出すイメージ。
政権ひとつ変わっただけで約束を放り投げる民族がいるらしい
国民としての責任は国民が取らにゃならんでしょ。 その理屈はわかるんだけど、そういうのって左翼の嫌いな愛国心と表裏一体だよね、という話。
左翼は愛国心嫌いじゃないよ。愛国心の押し付けが嫌いなだけで。
そうなんだ。 最初に例に挙げた冬季五輪の水差しなんかが印象的だったけど、日本人選手の活躍を喜ぶ姿は「愛国心の押しつけ」に感じるってことなのかな?
左翼って「愛国心とは黙して心に秘めるもの」「国を愛するからこそ厳しい目で見ねば」「安易に浮かれるな、勝って兜の緒を締めよ」みたいなところあるじゃん?
へーそうなんだ。 他人の愛国心も自分の愛国心と同じじゃ無いと許せない的な? こうあるべきみたいなのが強いってことなのかな。
その理屈なら今の日本人の殆どはその時代に生きてなかったので関係無いよね。