それが偏差値教育の弊害だという人もいるよね。
一般には偏差値というのは差別の象徴みたいに思われているけど、実際はそうではなくて、あれこそ平等(幻想)の象徴なんだっていう。
なぜかというと、高い偏差値も低い偏差値も同じ「数字」だから、「がんばればその数字は上げることが可能で、高い人はがんばったからだ」っていう。自分がいる地点と高い地点との地続き感。
これは本当は自分がいる地点と高い地点は断絶していて、到達不可能かもしれないという可能性を隠蔽している。その隠蔽装置が偏差値なんだと。
これがピアニストなんかだと指の長さが足りないから無理、という決定的な断絶があったりする。
ところが偏差値はそうじゃないんだっていう。
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