2010-11-06

その道の達人は意外と深いことを言わない。

よく、武道の達人とか高名な芸術家とかにフツーのジャーナリストなんかがインタビューしたりするよね。

で、インタビューを受けた方は、自分が狭い専門分野に打ち込んできたことで得た知見を披露する訳なんだけど、

さすがに道を究めた人の言うことには重みがあるように聞こえる。

(ああ、この人は今武道について語ってるけど、人生も一緒だなぁ)

とか、

(なるほど、それは日本の政治についても同じことが言えるな)

とかいう具合にね。

だけど、それは聞き手が都合のいいように解釈してて、

そういう深みがあるように受け止めているだけというのが多いんじゃないかな。

だって、その達人はその道の第一人者になるために狭い島宇宙に閉じこもってきた訳だから、

常識的に考えてもあっちこっちに浅く広く関わってる人間の方が視野は広かったりしそうじゃない?

いろんな分野に広く関心を持ってる人間ゼネラリストになれてもスペシャリストには成れないんだよ。

そして、スペシャリストゼネラリストには成れない。

例えば、武道の達人がニュースコメンテーターになって、日経平均株価の見通しを語りだしたら違和感があるでしょう?

だから、その道の達人が専門分野について語ったことを、受け手がいろいろ解釈するのはアリだけど、

達人自らが他分野のことをしたり顔で話してるのをみても真に受けない方がいい。

たいてい浅いことしか言えてないから。

実例を挙げよう。

僕が住んでいるところは田舎なので、「自然と暮らす達人」とされている人がゴロゴロいる訳だけど、彼らが社会的なことを語ろうとするとだいたい間違える。

それはこんな具合だ。

○実在する自然農法の人

「私の農業農薬に頼らない、環境に優しく持続可能な本物のスタイルです。工業金融なんていうのは持続不可能なものでありニセモノです。」

⇒持続可能性を評価して、割高な野菜や米を買ってもいいというのは、工業金融あるいはそういう産業の人たちが納めた税金で食ってる裕福な人。

だから、ニセモノの人たちがいなくなったら、そんな非効率な農法を道楽でやっていく余裕はなくなるでしょう?

自分の作ってる高い野菜を買ってくれる人がどんな人なのかさえ考えが及ばないんだから、せいぜい自分の周囲数メートルくらいしか想像力が働いてないんじゃないかな。

○実在する自然関係のアートな人たち

自然の声、木の声に耳を傾けて彼らの魂と同化して作品を作ります。日本人はこの魂というものを失ってしまいました。政治外交日本人の魂を忘れてはいけません。」

2ちゃんねるなんかによくいる、ニート扮するネトウヨたちと同じレベルの発言をしていて、しかもそれを、自分だけが知りえた事実のように得意げにご高説を垂れてたりする。

ああ、この人たちの世間は狭いんだなということだけがはっきりと伝わってくる。

結局、バカに見られたくなかったら、

自分の知ってる範囲だけについて、深く語る。

・どうしても自分の知らないことについて語りたくなったら、自信なさそうに語る。

というやり方が必要なんじゃないかと思う、自信は無いけど。

  • ×そこらのニート扮するネトウヨレベルの発言 ○そこらのニート扮するネトサヨレベルの発言

  • 「バカに見られたくない」という次元を超えた(もしくは最初からそんなことを気にしていない)から、その道の達人になれてるわけじゃん?

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