昼飯の帰り、目の前を黒い野良猫が通って行った。
そいつは裏路地の小料理屋でお裾わけをしてもらっているヤツだ。
時々会社帰りに飲みに寄るので、ちょっとした顔見知り。
とはいえ、別に何をやるわけでもない俺に、ヤツは警戒した目を向けて通り過ぎた。
その時軽く舌打ちされて隣を見ると、同僚が憎々しげに猫を見ていた。
「気持ち悪ィな」
と、そいつは言い捨てた。
どちらかというとベビーフェイスで人当たりが良い営業の彼がそんな口を利くのを初めて聞いた。
「猫嫌いなのか?」
「まっ黒いのは気持ち悪いだろ。
嫌なモン見ちまったな。
午後は大事な契約取りにいくってのに」
吐き捨てるような言い方に違和感を持った日のしばらく後
彼が退社する、という話が聞こえて来た。
件の契約を取るのにかなり無理を押し通した結果、
契約は取れず、
メンツが立たなくなったといって急に退職を申し出たという。
上司との折り合いも悪かったらしい。
二ヶ月後、彼は退職した。
しばらく後、俺が久しぶりに小料理屋に行くと、そこで雇われているおじさんがしょぼくれて三毛猫に餌をあげていた。
新顔だねと言うと、古馴染の黒猫が死んだと言う。
毒の入った餌を盛られて。
女将さんに気付かれないように保健所に連絡して引き取ってもらったけど
多分気付いているだろうな、と。
野良猫が毒を盛られるのは珍しくないそうだ。
50手前の女将さんは数年前に癌を患ってからすっかり気落ちしてしてる。
そういえば最近やっとそろそろ店をたたまなきゃ、と笑いながら言わなくなったばかりだよなと思いだして
何となく週に一度は必ず通って女将さんの顔を見るようになった。
三毛猫の方は黒猫と違って人懐っこく俺の顔も早々に覚えてくれた。
最初はいかにも野良っぽく痩せて細かった身体も、みるみる立派になった。
子連れで通ってきたらしい。
一匹は親そっくりの三毛。
もう一匹はくすんだまだらのような三毛。
そしてもう一匹は、黒い体に三毛のソックスを履いていた。
そいつらの父親があの黒猫かどうかは知らない。
けれど、そのソックスを見て、こいつは生粋の黒猫で生まれなかったから
意味もなく舌打ちをされたり、憎々しげに見られたりもしないだろう。
そう思うと、少しだけほっとした。