2010-09-11

価値は失ってから気付くもの

毎日120円で買っている缶コーヒー

日常的に飲んでいるものなので、飲んだ時の刺激にも慣れ、特にこれといった感情はわかない。

しかし、職を失い、明日を生きる余裕すら無くなるとそんな缶コーヒーを飲むことすら出来なくなる。

そうなった時に、この缶コーヒーを飲む価値に気付かされるのだ。

その価値とは、必要なものだったり、実はいらなかったものだったり様々。

この事に気付き、いらない物、必要な物の選別を心がけようとしても、これがなかなか難しい。

その時必要だと思った物は、確かにその時必要だと手にしてしまう。

その時いらないと思ったものは、確かにその時いらないと否定してしまう。

後々の事を考えると、と思えば無限情報量に押しつぶされかねない。

こうして、得られた答えは、2つ。

目の前の物に価値を付けることは不可能だと言う事。

外部から押し付けられる価値は疑うべきという事。

この答えに行き着いて、少し身が軽くなった気がした。

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