つらい現実から脱出したい。
『主人公が、現実から異世界に脱出している(※)』 パターン(”現実 → 異世界”)のフィクションについて考えてみた。
こういうフィクションのなかには、異世界に脱出しても、そのあと『現実に戻ってくる』 パターン(”異世界 → 現実”)の物語が存在する。”ネバーエンディングストーリー”のような。
現実に戻ってきたあとの主人公の幸福度って、『異世界に行っていた間、現実ではどのように時間が流れていたか』 にも依存するように思う。
(※)『比較すると、現実より異世界で過ごすほうが楽しい(楽しそう)』パターンのフィクションに限定します。『現実より異世界で過ごすほうがつらい』というホラーのようなフィクションについて、以下除外。
②-1 時間の流れ方が、異世界>現実。 (例:異世界で3年間冒険する。現実に帰ってくると、5時間しか経っていなかった。)
②-2 時間の流れ方が、異世界=現実。 (例:異世界で3年間冒険する。現実に帰ってくると、3年間経っていた。)
②-3 時間の流れ方が、異世界<現実。 (例:異世界で3年間冒険する。現実に帰ってくると、5年間経っていた。)
※その他の、「異世界と現実のどちらか片方だけで展開するフィクション」は分類から除外。(基本的に異世界だけで話が展開する”指輪物語”みたいなフィクションなど。)
一番幸福なのは、「異世界から現実に戻ってこない」パターン(①)だと思ってしまう、今のわたし。
次点は、「現実に戻ってきたら、現実では殆ど時間が経っていなかった」パターン(②-1)。
『3年間分の経験を、5時間で経験できる』というような、主人公の成長譚における必殺チート技なので、子供向けの教育的なフィクションにおいては、この類の数が一番多いんじゃないかと思う。
上記の2つ以外については、現実に戻ってきたあと、現実に適合して暮らしていくのが結構難しくて(浦島太郎的で)ツライと思う…。
「異世界と現実を往復するけど、双方の時間の経過にズレがある」というパターン(③-1と③-3)は、往復するたびに、周囲との差が開いていくという切ない経験がメインになる話になるのかな…。
作品を違うパターンに置き換え直してストーリーを想像してみると、興味深かった。
(もし、”ネバーエンディングストーリー”が、「現実に戻ってきたら、現実ではだいぶ時間が経っていた」パターン(②-2、②-3)だったら、だいぶ違う結末になっている筈。父親は、子の不在に耐えられたかな…。)
② 現実に戻ってくる
②-1 時間 異世界>現実。 (作品例:ネバーエンディングストーリー、不思議の国のアリス、ナルニア国物語)
ここまで大上段に構えて書いてきて、ここにきて肝心の作品の例が埋まりません…。ごめんなさい。
だれか、補完をお願いします!