微妙な回答しかできないが、しばらく独りになってみると諦めも付くかも知れないぞ。
愚かで醜い人間は多いが、彼らも好んで醜く、そして愚かに成ったわけではない。彼らは人生の中で環境に適応した結果、醜く愚かになったのだ。彼らが人間としてのより好ましい一面に背を向けざる得なかったことは、悲しい事だが、彼らの弱さを攻めたとしても、得るものは何もない。
私も若い時は周りの人間に多くを求めたが、今では人間の過半数は壊れたブリキの人形と変わりない、決められたパターを繰り返すだけのボットの様なものだと思うようになった(自分も含めて)。
もう死んでしまった人達、醜く老いてしまった人達、取り返しの付かない所に足を踏み入れてしまった人達は、あまり熱心に見るものではないと思う。大抵救ってやることは出来ないし、見れば見るだけ悲しくなる。
家族は何処までも家族で、見て見ない振りをする事は難しいだろう。俺達の頭の中には俺達が幼い子供の頃に見た愛に満ちた母や父の記憶がこびり付いていて、心の何処かで昔と同じように愛し、尊敬できる人達であって欲しいと願っている。お前が母親に苛立つのは、母親が肉親で今でも心の何処かでお前にとって大切な人間だからだ。
だが、愛やら何やらが誰かを救えるのはフィクションの中だけだ。年寄りに多くを求めても時間の無駄だ。もうお前は両親を愛する必要も、尊敬する必要もないのだから、何も求めず自分の目標に専念しろ。決して得ることの出来ないものを求めても、苦しむだけだぞ。
諦めですか。 何もかもがうまくいっていた昔にばかり執着して、なかなか諦めることができずにいます。 そうですね。 母親は大切な人であることに間違いはない。 死んだら絶対大泣き...