2010-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20100629141725

募金の必要や正しさをことさら声高に訴えておいて、実のところ有効なことはなんにもしない人、がおかしいということ。

これが違うんだよね。「募金の正しさを訴えること」が募金の金額を増やすかもしれない、ひとつ募金活動なわけだ。

だーーーーーーーーーーーーーーーかーーーーーーーーーーーーーらあーーーーーーーーーーーーーーーー。

「『募金の正しさを訴えること』が募金の金額を増やす か も し れ な い」なんてどーでもいーのよ。そりゃあおれがお星様に祈ったって、叶う「かもしれない」っての。

「『募金の正しさを訴えること』が募金の金額を増やす」ことが現実にできたなら、それは現実に効果があったんだから「有効なこと」でしょ? それができりゃそれでいいじゃない、もちろん。そこはだーれも問題にしてないの。

で、それはできましたか? せめて「かもしれない」の可能性は具体的に上がりましたか、つまり効果は出ましたか? 現実につながる動きは出ましたか? 現実はどうなりましたか?っていうと、効果が発揮された事例はぜんぜん聞こえてこないわけよ。「募金で援助を受ける人」は出てきてないんじゃないですか?と。

募金が大事というのなら、募金を推進できたんですか?と。できてないんだったら、それは今までの行動が足りないわけで、「最終的に迷惑をこうむるのは問題の当事者」でしょ。「大事」に相当する行動が発揮されて、効果が出たら「問題の当事者」の益でしょ。「大事」ならその実現はされなきゃいけないでしょ。

じつは「大事」でもなんでもないんじゃね?

  • だーーーかーーーらーーー。 それ以上のものを提供する気のない人に、もっとやれ、もっと出せ、と言っている君の行動自体が迷惑だと言っているわけ。 効果がなかったところで、別に...

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