2010-05-22

Twitterをやっていて思ったこと

別に、人との(ゆるい)繋がりを求めてTwitter始めた訳じゃないんだけどさ。

アカウント取ってから、しばらくは使い方もよく解らなくて、放ったらかしだったし、

最近復活っていうか、また使い始めてるけど、そんなにしょっちゅうツイートもしないし、

プライで誰かに絡む事もあまりない(なんか落ち込んでそうな人とかに「どうしたの?」って返す程度)のだけれど、

なんかね、殆ど絡まないフォローしてる人達が、愛おしい(って言うのはちょっとニュアンス違うけど)と感じるようになってしまった。

いろんな人が、いろんな人生を生きてるんだなぁって実感するっていうか、

些細な、本当に些細な出来事でも、なんだかそれをとってもリアルに感じるというか。

私は「○○なう」みたいな事は書かないし、基本的に自分の心情みたいな事(特に、悲しいとか辛いとかネガティブな事)は書かない質なんだけど、っていうのは私のそんな日常や心情に誰も興味なんてないと思ってるから(だからたぶん、これからもそういうツイートはしないけど)。

でも、他者のそうしたつぶやきに、反応してしまう自分が居る訳ね。

例えば、ネガティブな心情のつぶやきだったら「何か力になれる事ってないかな?何かの一言で少しでも元気にならないかな?」とか、

「○○なう」とかだったら(それが楽しそうな事だったら)、「ああ、この人は今それを楽しんでるんだ、良かったな」とかね。

顔もしらない人にそんな感情抱くなんて、なんだかおこがましいから、こっそりこんな所で書いてるんだけどね。

でも、そういう気持ちというか、感情自然に湧いてきているのに気がついた。

何気なく覗いた(あまりしょっちゅうログインしないから)TL上に名前が見つからない人の事も、「ああ、今日はあの人のひいきの野球チームが勝ったから、喜んでるだろうな」とか思ってしまったりして、我ながら変だと思う(わざわざ辿って確認まではしないけど)。

今、200人以上フォローしてる感じなんだけど(ちなみに私は基本的にフォローされたら殆ど誰でもフォロー返しするパターン。業者っぽい人もフォローしてる#followmeタグは使わないけど)、その人達が時には落ち込んだりしながらも、些細な事でもいいから、なにか少しでも幸せを感じて、基本的には元気で過ごしてくれていたら、

なんだか私も嬉しいって、そんな事を感じたりしている。

なんかさ、「Twitterの意義」とか「Twitterはこんなに使える」とか、言われるとなんかピンと来なかったんだけど、

自分にとっては「小さな幸せ」をくれるツールだったんだよね。

私のつぶやきが誰かを幸せに出来るなんて事は思えないけど、私は一方的に幸せを受け取ってるっていうか。

「これがTwitterの正しい使い方だ」なんて事はとてもじゃないけど主張できないけど、私にとってはそれが私なりの使い方かな?みたいな。

そんな感じ。

Twitterは議論に向いてないから、なおさらそう思うのかもしれないけどね。

今ちょっと気がかりな事は、とても積極的に(というのは、たまにTLを覗くと必ずその人のツイートを見かけるくらい頻繁に)ツイートしていた人が退会してしまった事。

その人は殆ど「フォローお願いします!」みたいな事ばかりつぶやいていたおじさんなんだけど、たまにちょっと「精神的な辛さ」みたいな事もつぶやいていたから、急に消えてしまったのが、ちょっと心配。

ただ、「ツイッター飽きた」みたいなそんな理由でありますように、どうか元気でいますようになんて神様も信じてないくせにお祈りしたくなってしまう。

こんな事、ふだんのはてなでの私とかけ離れすぎてて、恥ずかしくてとても書けない。

っていうか、私は本当に意地悪で自己中心的人間だから、もしかしたらこれも自己満足(もしかしたらじゃなくて、たぶんズバリ自己満足)だし、

基本的に人付き合いが嫌いっていうか面倒だと思う私にはあり得ない事で、なんか一瞬の気の迷いみたいなものかもしれないけど、

今の気持ちを忘れちゃうのも嫌なので、増田に書いちゃった。

反省も後悔もしてない。

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