国民は政治家に政治的動物であることを期待し、人間的動物であることを非難し、かつ自分たちを人間的に扱うよう要望するが、結局、人間的な目線を喪ったら政治家は庶民を人間として見れなくなる。だから、国民は政治家が自分たちを愛してくれるように、国民も政治家を愛してやらねばならない。政治家の愛を失った国民は政治家のエサになるしかない。そうなった政治家を国民は「売国奴」などと呼ぶが、そもそもそこは国民の愛が足らなかったせいなのではないか。誰が好きこのんで私利私欲より国益を優先するものか。国益を優先する政治家は須く国民を愛しているのだ。国民の期待を受けて政治的動物になり、国民を愛することをやめたとき、政治家は私利私欲を肥やすようになるのだ。有能な政治家を愛し、無能な政治家を憎む。民主主義国家とは、そうやって良くなるものではないのか。