テレビをつけたら、とあるSNSのコマーシャルが流れていた。魂消た。
舞台は、地方とおぼしき高校。二人いる女の子のうち、ひとりが「東京へ行くんだ。」と言う。
SNSがあるから、離れてもつながってるよと言いたいコマーシャル。
終わりのところで、件の女の子が、おそらく東京と思われる土地で美容師として働いている場面で終わる。
この土地が持つ言霊の威力は凄まじい。自分が地方住みになってあらためて思う。
ネットがあるから、どうたらこうたらなんて、何にもならない。物理的距離を凌駕するだけの力は、まだネットには足りない。
空気感は、どうしたって作り出せない。
そんなこと誰が思ってるんだろうと、ずっと思っていた。
ところが、地方都市に住んでみると驚く。未だに、東西の最高峰と思われている旧帝大よりも、その地方にある旧帝大がエリートコースとして(一度も地元を出たことのない人々からは)認識されているし、そこに進学したひとの殆どは生涯地元から出ることがないから、地元が最高で最上の選択だと疑っていない態度を、とりあえずは示す。エリートコースに進んだ人らは、余所から来たもっと上の人にはそれなりに敬意を示す。
シンジラレネーション
SNSのコマーシャルは首都圏では、「東京へ行くんだ」って言葉はどのように変えられているのだろう。
知りたい。
こんな、どうでも良いことだって知ることが出来ないのだ。地方にいては。
だけど、この地方の閉塞感は、どうにかならぬものか。
だからだろう、「東京へ行く」という言葉が、こんなにも色褪せないと思われて使われ続けるのは。
この春、東京へ出てるあなた
この春、東京を後にするあなた