ぶっちゃけ、俺は確かにやらないし、やらない人が大半だというのも認めるが、「影響されてやる馬鹿」がいることも否定できないんだよな。
「奈良小1女児殺害事件」とか、少女ポルノ愛好者が実際に少女をさらって殺している訳だし。そこまでいくのは少数だとしても、盗撮とかもっと軽いのまで、あるいは泣き寝入り等で表沙汰になっていないものまで入れたら結構な量になる筈。
だから、「大多数は安全」だとは俺も自信をもっていえるけど、少数の馬鹿が実際に犯罪を起こすことは否定できない。そこが痛いところだ。
個人的には、規制の有無というのは、少数の馬鹿が犯罪を起こして少女が被害にあうことを社会のコストとして受け入れるべきかどうかという議論の裏返しなんだと思ったり。犯罪なんて起こさない多くの善良な人間の少女嗜好を保護するか、そういう善良な人達とは無関係なところで犠牲になる少女達を救うかのギリギリの選択なんだよな。
これはもう人権がどうこうというより、政治判断の話なんだと思う。交通事故死する人が多発していようと利便性のために車社会を維持しているように、政治判断の世界では人の命というもっとも重いとされているものすら犠牲にすることが許容される訳だしな。そういう命すらコストとして受け入れてしまう世界で、人権どうこうを強調してもしょうがない気もする。
交通事故死する人が多発していようと利便性のために車社会を維持しているように 車が無ければ現在日本に住んでいる人全てが困る(自分で車持ってなくても、バスもタクシーも使え...