「教えてもらう」人は質問ができない
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「何か質問は?」と言えば静まり返る。あちこちで見られる光景です。その場ですべてが理解できるなら出席する必要などありません。アウトラインとメモに目を通すだけで十分に事足ります。質問が出ない場合は、そこに理解しようとしない人が潜伏しています。何のために聴いているのか分かりませんし、時間の無駄です。世の中には、質問ができる人とできない人がいます。前者が学ぶ姿勢、後者は教えてもらう姿勢です。
「学ぶ」の語源は「真似ぶ」です。相手の言ったこと、やったことを真似ることです。「学ぶ」人にとっては、真似できない、わからない部分は質問せざるをえないです。「教えてもらう」人には、そういうところはありません。話は聞いていますが、そういうものなのかと程度で、疑問など感じていません。ですから、質疑応答の時間に移っても、質問など出るはずがないのです。
どちらが、新しい知識や技能が身につくのが早いかといえば、とうぜん「学ぶ」人のほうです。自ら経験しようとしない人には何も学べません。「わからない」を自分を認識して、吸収しようという意識がなければ、何も学べません。質疑応答の場などで質問ができない人というのは、そもそも学ぶ姿勢になっていないのです。
「教えてもらう」人は極端に知識や技能が身につくのが遅いです。自分の身をもってやろうとしないから、疑問を感じられませんし、質問を組み立てられません。疑問をもたないから考えるということにもつながっていかないというスパイラルに嵌っていくのです。他人の話を聞いたり行動を見たりして質問する力があれば、教えてもらえなくても自ら答えを模索することができます。この当たりに答えが有りそうだと思って質問すれば、返ってくる答えも的を得たものになりますし、質問された側も答えやすいです。
さらに質問力がついてくれば、答えに迫っていくスピードが増し、最終的にはピンポイントで自らの答えを導き出すことができるようになれます。その得られた答えを持って「質問」すれば、回答者からハイレベルな答えを、より多くを引き出すことが可能になります。これこそが質問の真髄だと思います。
誰しも当初は質問力など、持っていません。「これこそ質問すべきことだ」という点について正しく理解できている場合は、そう多くはありません。「あなたが質問をして得られること」は、回答者の持つ経験や知識のうちの「あなたが思いついた」質問の範囲でしかありません。
ハードルが高くて質問できないのは、本末転倒です。質問できないなら、よく分からないながらも「何となく質問できる時間」を確保することです。質問された側は、自分の経験と知識の大海の中から「あなたに最も有益なメッセージ」を選んで出してきてくれます。
質問の持つ効能は計り知れないものがあります。これを知らずして、人生を過ごすのは残念です。質問とはなにかを教えてくれる本書は、あなたに豊かなものをもたらしてくることは間違い有りません。