そのすべての作品を読んでる人なんて絶対いないし、時間が足りるわけもない。
当たり前のように、読みたい作品を選別し、その雑誌のみを買うようになる。
なのに、アニメバブルの時、同じように唸るほど放映されたアニメはそういう扱いはされなかった。
沢山ありすぎてすべてを観るのが不可能なら、選別するか、それも無理なら無理をしなければいいのに。
話題だった作品を見逃していて、それを見たいと思うのなら、じきにレンタル屋に並ぶものなのだから、その時見ればいい。
(あの時既にYoutubeはあって、niconico動画も似たように違法配信に見てみぬ振りだったのだから、待つのが我慢できないならそっちを後日漁るという手もあった。違法配信をマンセーしているわけではないが。)
そういった、自分に無理のない作品数だけを観る、というやり方が、アニメでは定着していかない。
なんでそんなに、全部をチェックしなくてはいけないみたいな、強迫観念に似たものに取りつかれているのだろう。
作画の質は確かに下がった。それが不満に思うのも当たり前ではある。
そこでネットでよく聞かれた声は、「作品の数を減らして質を上げろ」だった。
知人でさえ、そんなことを言っていた。とにかく数を減らせという意識が蔓延していた。
今、確かに作品の数は減った。作画の質は安定したかな?したのであれば、それは良かった。(していないならば、数の減り損だからね。)
見たい作品は、以前より増えたかな?
自分の目には、エロを売りにした作品が目に留まるようになってきて、ややうんざりしているけれど。他の人はどうだったろう?
作画の質が安定したとして、面白い作品であるかどうかは関係ないはず。
悪い作画で台無しにしてしまうことはあっても、面白くない作品を良い作画で面白くするのは難しい。
今でもよく聞く。
「今ぐらいの作品数のほうが、見やすくていい」と。
別にそんなに、無理に全部チェックしようとしなくていいのに。