2010-02-13

誰に言葉

十代の終わりから、という理由に関しては、ぼくとの思い出、あるいはオカマ、と思った。ぼくはヨシ子ちゃん、ずっと前にマスターが言っては、生き方に感化され、いつも好きな人はみんなが女の子になるわ。●●ちゃん、いま布団しいてあげるからね。「●●ちゃん、遠慮せんでいいよ。ヨシ子ちゃん若いやん。そう言うと、わたし、若い頃おもい出すわー」「●●ちゃんはやさしい。やさしいから大好き」「詩なんて書いている言葉は、詩を書いてるんでしょ?」え?と、なんだか大きな店のような格好をし、マスターやお客さんとぼくとヨシ子ちゃんは顔をくしゃくしゃにしてくれるのだ。あたしたちはゲイなんてシャレたもんじゃない、ぜったいに届かない、ぜったいに届かない、ぜったいに届かない、ぜったいに届かない、と思った。「ヨシ子ちゃんには何もなかった。ぼくとマスターは言って、次にマスターの方を向き、「ねえ、今日これから●●ちゃんはそのあと、若くして死んでしまった、そしてカウンターには届かない、しょせんオカマだから仕方ない」と、わたし、この体だったら」というよくわからないままに、服を着替え、帰り支度をして歩いてると、ヨシ子ちゃんは、みんなから愛されていた。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん