「社会的に成功した人間は、容姿に気を使っている」から始まり、部下の「いつも1000円カットで済ませてしまう」を、「その程度の店にいってるようじゃ将来性は無いね」と突っぱねた後、自分が使っているお気に入りの店、そして美容院に相応しい服装、帽子と腕時計と靴の関係について散々講釈を垂れ続け、合間には「お前の毛玉だらけの服」「その●●●みたいな染み」といった言葉が挟まれていた。
ぱっと見は二人の人間がにこやかに会話しているだけだが、ただの一方的ないびりである。
伊集院が戯画化する「おしゃれ人間」や、痛いニュースの書き込みをそのまま人格化したような人間は普通いないはずだが、100%存在しないわけではない。彼は常に差別的で無根拠な暴言を撒き散らすのだが、「それが正論」「世の中の真理」「社会人の義務」というフレーズと結び付けられ、正当化されている。新人の子もゆがんだ泣き笑いのようなつくり笑顔を続けているが、そのうち彼に洗脳され、思考や行動が完全に同一化され、彼らやあの人とおなじ一派になる。風物詩である。耐えられない。
なぜそういうやつらは、自分を集団に所属させてから意見を展開するのだろう。たとえば明石家さんまが「われわれ」と言ってから自分の意見を述べるのに違和感を感じる。 そのくせ、...
私も明石家さんまの「関西人は...」に違和感を覚える。 日常会話で「でんがな」とか言える人は、そういない。