2010-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20100120211148

極めて「ユニーク」な解釈をする人が出てきたので相手しておく。ここまで「ユニーク」な相手に理解が得られるかは分からないが。

まず一般論で言う。例えばモルヒネはかなりの割合の患者を痛みから解放するらしい(http://www.naoru.com/moruhine.htm)。モルヒネが適さない痛みもあるが、それにも別の薬で対応することは可能だ(http://www.bb.e-mansion.com/~mikamo/reffer/hojyozai.htm)。もちろん患者の状況=鎮痛の可能な範囲は千差万別だろうが、上記のような状況があって「きちんとした鎮痛」をしながらなお「がんの痛みが続いて耐えられない。死にたい」といい、(楽であるらしい絞首ですらなく)激痛があるはずの投身を選ばねばならないような疼痛を味わわなくてはならないケースがどれほどあるか。

何故この人が「鎮痛」をしていないと思い込んでいるんだろう。

と言う彼が「患者が適切なレベルの鎮痛をすでに受けている可能性」をどのくらい考慮すべきと見積もっているのかは興味のあるところだ。

そもそも私は「鎮痛をしていない」と言っているのですらない。言っているのは

・これはがんで痛いから死にたい、という話なのだから問題は明らかにまず「鎮痛」。要因ははっきりし、対策はあり、それは可能である。きちんとやればよい。

・ゆえに全肯定だのなんだのという話が出てくる余地はない(というか「痛すぎるから死にたい」と言う患者のなにをどう「全肯定」して自殺を止めるというのか。どうやるのだ?)。

・言うまでもないが、がんでそこまでの痛みが出るのなら残念ながら先は長くない。あえて安楽死を急ぐ必要はないだろうし、鎮痛をできるだけやったあとにそれは考えればよい。

・当然、「痛くて死にたい」という死の迫った人間に「生きてればいいことがある」という説得は単なる的外れであり、効果も無論極めて低い。

というような話だ。少なくとも、この事件の記事に「鎮痛」に類する単語がないこと、「鎮痛」を第一に考慮できないブックマーカーが多いことはまずい状況と言える。それは報道がこんな事件でさえ鎮痛のことをよく伝えていないということであり、結果、受け手へがん疼痛の簡単な知識も伝わっていないことを意味するからだ。彼らのような人間が、「だって麻薬だから…」とモルヒネの使用をためらわせる。しかし

つーか5時間もかけて

「生きていればいいことがある」などと

だけ「説得」した

訳ねーだろ。「生きていればいいことがある」だけなら5秒で終わるわ。

というのは圧巻だ。ここでの「だけ」の意味や「などと」の存在など了解できず、「であれば」という仮定法まで無視して、見当違いのことを大威張りで言っているのだから。だいたい「生きていればいいことがある」だけの説得でも5秒で終わるわけがない。まさか、「生きていればいいことがある」だけの説得って本当に「生きていればいいことがある」という文章を喋ることだと思っているのだろうか。

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