2010-01-18

『俺らって働くときは全力で働くし、遊ぶときは全力で遊ぶ。

 だからお前らってなんかこう、見ててつまらないんだよね、遊び方を知らないというか』

 

とある同期に腹を割って話してくれって聞いたとき、言われた言葉

そいつとはむしろ仲がいいし、自分としては自分自分、他人は他人のようなスタンスを取っているので、ああこういうやつって本当にいるのだな程度。

 

ただ、違和感半年以上経った今でも感じる。

全力で働く、それはいい、俺には無理だけど与えられたタスクについては全力じゃなくとも

合格点のいくものを出している。少なくとも上司には文句の出ない程度のものになっている。

 

問題は全力で遊ぶってなんだそれ。全力って。

いいじゃねーか遊ぶぐらい。適当でよ。

休日は俺のものだ、使い方は俺次第、そうだろう?

休憩が取れればいいんだ、何かに追い立てられるように生きなきゃやっていけないのか?

自分に暇な時間が出来てるのが許せないのか?

何と戦ってるんだ一体。お前の人生に対する採点対象はお前以外いないだろうに。

 

遊び方?そりゃ知ってたら付き合いの幅は増えるだろう。

だが休日は付き合いのためにあるものじゃない。

やりたいことをやるためのものだ。

そして俺のやりたいことは「何もやらないをやる」、だ。

お前は人付き合いが楽しくてしょうがない、というのならいいだろう

だがもしお前が付き合うために遊んでいるのなら、それはただの自己欺瞞だ。

 

つまらないやつで結構だ。

俺が、もしくはお前が指している「お前ら」がつまらないというのならば、

俺から言わせてみればお前は暇な時間を楽しむことすらできない

いわば時間に対する臆病者だ。

 

きっと傍目から見ると彼は充実しているだろう。

しかしそういうやつが所謂リア充だと称されるのであれば

俺は一生非リアで結構だ。

  • もう何年も暇って感覚になったことないなあ。 暇があったら勉強するからなあ。

  • なぜ「俺ら」「お前ら」になるんだろう。「俺」「お前」じゃないのか。 ところ時間かまわず携帯電話からメールを出して、手帳に会う予定を書き込まないと不安な人なんだろうか。 ...

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