『俺らって働くときは全力で働くし、遊ぶときは全力で遊ぶ。
だからお前らってなんかこう、見ててつまらないんだよね、遊び方を知らないというか』
とある同期に腹を割って話してくれって聞いたとき、言われた言葉。
そいつとはむしろ仲がいいし、自分としては自分は自分、他人は他人のようなスタンスを取っているので、ああこういうやつって本当にいるのだな程度。
全力で働く、それはいい、俺には無理だけど与えられたタスクについては全力じゃなくとも
合格点のいくものを出している。少なくとも上司には文句の出ない程度のものになっている。
問題は全力で遊ぶってなんだそれ。全力って。
いいじゃねーか遊ぶぐらい。適当でよ。
休日は俺のものだ、使い方は俺次第、そうだろう?
休憩が取れればいいんだ、何かに追い立てられるように生きなきゃやっていけないのか?
何と戦ってるんだ一体。お前の人生に対する採点対象はお前以外いないだろうに。
遊び方?そりゃ知ってたら付き合いの幅は増えるだろう。
だが休日は付き合いのためにあるものじゃない。
やりたいことをやるためのものだ。
そして俺のやりたいことは「何もやらないをやる」、だ。
お前は人付き合いが楽しくてしょうがない、というのならいいだろう
だがもしお前が付き合うために遊んでいるのなら、それはただの自己欺瞞だ。
つまらないやつで結構だ。
俺が、もしくはお前が指している「お前ら」がつまらないというのならば、
俺から言わせてみればお前は暇な時間を楽しむことすらできない
いわば時間に対する臆病者だ。
きっと傍目から見ると彼は充実しているだろう。
しかしそういうやつが所謂リア充だと称されるのであれば
俺は一生非リアで結構だ。
もう何年も暇って感覚になったことないなあ。 暇があったら勉強するからなあ。
なぜ「俺ら」「お前ら」になるんだろう。「俺」「お前」じゃないのか。 ところ時間かまわず携帯電話からメールを出して、手帳に会う予定を書き込まないと不安な人なんだろうか。 ...