2010-01-07

つないで握った手

 引っ込み思案なこと付き合いはじめて、もう三ヶ月になるけれど、なかなかに進展をしていない。手をつないだり、キスをしたりぐらいのことはするのだけれど、どうにも話すのが苦手なようなのだ。

 インターンでやってきて一ヶ月ぐらい、社内で孤立していたので手をさしのべたらぎゅっと握りしめられる。

 ――生まれてはじめてやさしくされました。

 そんなことをぽつりという。

 いったいぜんたいこれまでどんなひどい所にいたんだとびっくりするほどで、相談に乗ってぽつりぽつりと話を聞いていると、なにやらヘビーな家庭環境で、それで大丈夫かなと話し相手になっているうちに、ぞっこんにはまってしまう。

 ああ、だめだ。

 あなたはとってもやさしいといわれるたびに心が揺さぶられる。

 ちょっと笑顔を見せてくれるだけで、ぼくまで嬉しくなる。

 傷だらけの心を見るだけで、癒したくなる。

 心の奥底では、こんなの当たり前だよ! これが普通なんだよ! やさしくなんて、ほんとに優しくしたらこの子はどう思うのだろうと思って、はっと、直前でブレーキを掛ける。

 アクセルを踏むとめちゃくちゃにしてしまいそうで怖い。

 あまりにも異常な環境にいたせいか正常な状況がどういうものかが分からないようで、話していてあちこちに感じる違和感のかけらを掛け集めて、なにを貰っていないのか、なにが足りないのかを探す。

 絆創膏を貼りながら、次はどこへ貼ればいいのかと考えているうちに、その子の心が走り出してしまう。引っ込み思案なのだけど、心の動きは活発で速いので、すぐに見失ってじっと待って見極めようとする。ときどきは危ない方向へ走り出してしまうから、そういうときはあわてて突き飛ばす。

「ひどいひとですね。……でもあなたのことがくやしいけれど好き」

「あの、いや、いまあなた、崖から飛び降りようとしていたから」

 その子は膝のすり傷を指して、抗議して、怒って、話してくれなくなる。

(ぼくも巻き込んで崖から飛びおりようとしていたのだけど……)

 だからふたりは地雷原をのろのろと走るジープのようで、アクセルを踏もうにも踏み込めない。もしブレーキを踏むのをやめてアクセルを全開にすれば、ジープはもろとも谷底か、地雷か、どこにあるか分からない奈落の底に一直線なのは分かっていて、それを目の前にするとブレーキを踏んでしまう。

 その子の心はぼくを振り回して無邪気に走り回るのだけど、その子の目に見えない地雷に気付いたときぼくは、つないで握った手を、あわてて引く。そして、一緒に地面に叩き付けられる。

「ひどい! それに最近かまってくれない」

 いや、ぼくの方に余裕がなくなったら、かなり危ないから。

 ずっと守っていないととても危ないから。

 だからその握った手を放さないでいて。

 職場での彼女はセンスがあって有能で、おそらくこれまでまともな教える人にであったことがなかったんじゃないかと思えるほど。すこしの指示でこちらの意図を的確に把握するし、できる人ならここを考えてくるはずというポイントも抑えている。

 引っ込み思案でコミュニケーションに頼らなかったせいか、考えて正しいところにたどり着くのは早い。

 ただ、それについてこれない人も多いかもとも思ったり。

 そういう意思疎通はとても心地よくて、その思考が正常に回っているときのその子には圧倒されてしまう。ぼくがこの速度でついてこれるのかと思ってしまう所にもついてこれる。かしこいというか、活動的というか、なんていえばいいのだろうと辞書を引いたら、おそらく聡明というのだろうと思った。

 だけど、速く走る分だけ、つまづいてずっこけるのもあっという間で、そのたびに絆創膏を持って、あわてて手当をする。ときにはこけた拍子に地雷を誘爆させて、全身被弾してずたぼろになっていたりする。

 傷が浅いときは、あ、こけたかとくすくすと笑ってしまう。

 大丈夫? どこが痛いですか?

 引っ込み思案の理由を聞くと、あなたと差がありすぎて、つり合わないといわれてしまう。

 正直に言うと彼女にそういわれるまで、まあそこそこ頑張ってきたかなぐらいには思っていたんだけど客観的にやってきたことを並べてみると、まあそう見えても仕方ないかもと思う。ぼくとしては普通に日常生活を送ってきたわけだから、なにか自転車に乗れる人ってすごいといわれているようで、それはその子にずっこける癖があるからでは、と思えてくる。

 上手く走れるようになったら、その子もすごいと思うのに。

 だから、上手く走れるようになるまでは、絆創膏を持って手を握る。

 走り方を教え続ける。

 地雷の見つけ方を教え続ける。

 そうしないとあぶなくてアクセルが踏めない。

 それでもその子とは波長が合うというか、意志が通じ合うときに、その手でぼくの胸を触られて、その奥まで撫でられている心地になる。こんな深いところまで冷たい手で触れられると、心が愛撫されている心地になる。

 それで落ちない訳がなくて、その子はさらにそこから心を鷲づかみにして、揺さぶって、振り回そうとする。ぞっこんになるのはいいのだけど、その子が走り方を覚えるまでは、なんとかして平静を保とうとする。

 こっちは必死で持ちこたえているのだから、あぶなくない走り方を早く覚えて欲しいと思うのだけど、あ、ずっこけてる、と絆創膏を持って駆け寄る日々が続く。

 どうか、このつないだ手だけは、ゴメンと思うときもあるけれど、放さないでいてくれると嬉しいのだけどねぇ。

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