上の2つは極端な例だが、それに類する「望まぬ妊娠」によってできた子供。
これらは性淘汰という「優れた遺伝子を残すための規律」への謀反である。
優れた遺伝子というと先験的に決定づけられているように聞こえるので、
日常感覚に掘り下げて、「異性に愛される優れた個体」と表現しよう。
誰かに愛されているとは、
その人がこの世界に存在し続けることを望んでいる人がいるということで、
そのように望んでくれる誰かがいるからこそ、
彼(彼女)の子供が産まれてくる前に殺されてしまったということは、
彼(彼女)の存在を望んでいる人がおらず、
従って彼(彼女)の複製がこの世界に存在することも許されなかったということなのだろう。
経済的な理由で育てられないから殺されてしまうという事情もあるだろうが、
少なくとも今の日本では、食いっぱぐれることはないだろう。
経済的な責任を負うだけの愛情を持てないから殺されてしまうことの方が多いのではないだろうか。
他人に愛されなかった望まれなかった劣った個体に、この世界に存在し続ける権利はなく、
従ってその個体の複製にも生きる権利はないということなのだろうか。
「お前さえ生まれてこなければ好きでもない伴侶と縁を切れていたのに」
「嫌いな伴侶に似ているお前が許せない」
愛していない伴侶、この世に存在し続けてほしいと願うこともできない伴侶の複製の一生に責任を果たし、
その複製の存在のために愛していない伴侶と一生一緒に居続けなければいけないとなったら、誰しも苦痛に感じるだろう。
親を不幸にする子供など、生まれてくるべきではないのだろうか。
子供の存在が親を不幸にするというのは、
その複製の存在故に愛していない伴侶と一緒に居続けることを宿命づけられる場合に限るのではないだろうか。
当然子供が一番不幸だ。
なぜそのような不幸が起きたかと言うと、
性淘汰ルール(愛された優れた個体の複製を残す)に背いて間違って子供が産まれてしまったからではないだろうか。
と考えると、中絶とは、
本来は異性に選ばれる能力のない、子孫を残す権利のない劣った個体が、
ルールを破って非合法に作った複製を排除するための浄化装置なのだろうか。
他人どころか親にすら望まれない人間はその時点でこの世の中に存在する権利はないのだろうか。
とすれば、親に望まれずして生まれた子供は、
本来淘汰されるべき「不良因子」、次の世代に引き継がれる資格のない「劣った個体」であることの証左なのだろうか。
そして、そのような子供を産んだ親もまた、正当な手段で異性に選ばれたわけではない、
本来は「存在し続ける資格のない」劣った個体であることの証左なのだろうか。
親が子供を愛していない家庭、
本来は、親の遺伝子はその代でこの世界から消滅すべきであり、子供は産まれてくるべきではなかったのだろう。
性淘汰のルールを破って厚かましくも生まれてきたために、全員が不幸になっているのだろう。
うっわあああああああああ おまえ きもちわりいいいいいいいいいいいいいいいい 文章と考え方の気持ち悪さに久々にゾクゾクきたわ。こういうことがあるから増田はやめられないねー...
もっと次元の低い話だよ。 実力で勝てない相手に「お前もてないだろー」って、ガキのケンカそのもの。