『君に届け』なんですが、梅ちゃんが最初から「爽子」と呼んできたことに爽子が気づくという場面がありまして。性悪で嫌味な女であるかに見えた梅ちゃんが(実際そうなんだが)、実は思いのほか爽子のことを真正面から捉えていたということなんですね。
まあそれは爽子に本質を引き出されてしまったという受動的な部分が大きいのですが、ではどのようにして梅ちゃんが本質を引き出されてしまったのかというのが重要ですよね。で、それはどうも、爽子が梅ちゃんのことを「梅ちゃん」と呼んだことに起因しているのじゃないかという気がするわけです。
爽子が梅ちゃんを見る観点というのは、他の子たちが梅ちゃんを見るのと同じように、彼女の外面的な華やかさだったり、人当たりのよさだったりと、特別なものではないように見えます。でも、爽子が特別なところは、梅ちゃんを「梅ちゃん」として認識しているところなんだな。他の子たちにとって梅ちゃんは、「梅ちゃん」としてかわいかったりいい子だったりするのではなく、「かわいい」とか「人当たりがいい」という、誰でも入れ替え可能な性質の束が人の形をして歩いているに過ぎない。その性質の束の名前が「くるみ」だというわけです。爽子も梅ちゃんのことを「くるみちゃん」と呼びますが、他の子たちが、「(性質の束としての)くるみ」と呼ぶのに対して、爽子は「(本当は梅という名前の)くるみちゃん」と呼んでいるのです!
しかし、爽子はなぜ、そのように梅ちゃんのことを名指すことができるのか、それはなかなか難しい。一ついえるのは、爽子のコミュニケーションは空気読まないんですよね。
人をバカにするっていう行為は、相手が「自分はバカにされた!」っていう意識を持たないと成功しません。その人が「バカにされた!」という意識を持つためには、バカにした側のコミュニケーションの文脈の中に生きていなければならない。爽子は、そういうコミュニケーションの文脈から自由なんです。そしてだからこそコミュニケーションがなかなか円滑に進まず、友達もできなかったのでしょう。イケメンが現われるまでは。
梅ちゃんとの恋愛合戦も、梅ちゃんが繰り出す戦略がことごとくコミュニケーションの文脈を使った手法であるために―「ここはあたしとの差を感じて引き下がるところでしょ!!」とか―コミュニケーションの文脈を所有していない爽子には効果がない。今回でいえば、自分より華やかでかわいい女の子が自分が好きなイケメンと同じイケメンを好きになったら自分の方が引き下がるべき、というような梅ちゃんが想定している文脈を爽子は所有していなかったのです。
だから、そういう文脈を読まない爽子に対峙するためには、暴力を行使してねじふせるか、文脈なしでぶつかっていくしかない。もちろん、今回の引きからして、梅ちゃんはまだまだ色々な文脈の引き出しを持っていて、爽子を蹴落とそうとするでしょうが、多分、徐々に直接対決の様相が濃くなっていくと思います。いい友達になったらいいけど。そこらへん女の子の世界はどうなんですかね。
でまあ、実際、梅ちゃんは文脈の読めない爽子に自分の本質をさらけだします。「名前は私の唯一のコンプレックスなんだからね」。なんかもう、この時点で梅ちゃん負けてる気がします。
結局のところ、梅ちゃんがかわいいということです(見ている分には)(笑)。
あと、名前といえばイケメン側でもどきどきの展開でした。イケメンの親友が、周りの男子の中で唯一「爽子」ときちんとした名前で呼んでしまったのです。いままで、男子の中で爽子の本質に触れるのは自分だけの特権―「ひとりじめ(キラッ」―だったはずのイケメンは動揺を隠せません(笑)。俺だけの爽子が他の男とも仲良くするなんて、というわけです。しかもその親友が爽子のピンチを救ってしまう。どうするイケメン! でも大丈夫です。だって、確かにその親友は爽子のピンチを救ったけど、それは爽子の本質に触れるような出来事ではなかったから。イケメンが爽子を救ったのは爽子の本質―つまりコミュニケーションの不成立―にふれることによってだったので、イケメンの優位は現時点ではゆらぎません。ただ、問題なのはイケメン自身の方がどう解釈するかで、親友が自分の彼女と仲良くしてても耐えられるか、という試練なわけですな。
まあ、まだ普段は「黒沼」としか呼べてない段階ですからね。彼が「爽子」と呼べるようになる瞬間を分析できるようになるのが楽しみです!!