2009-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20091209220806

わりと長いことはてな離れていたせいで、もう終わった話題な気もするが。

結局は、『システム派』か『遺伝子派』かってところで、意見が分かれてるんだろうなぁと思った。

自分システム派だ。

血筋とか、民族とかどうでもいいし、国も人類が開発してきたシステムの一種でしかないと思っているから、効率が悪ければ国のシステムをがんがん改造していけばいいし、グローバル社会のが効率良いなら、最終的に国というシステムではなく、別のシステムに切り替わってもいいだろうと思ってる。

むしろ遺伝子という単位や、民族という単位に拘るのは、システムの発展を妨げる、野蛮な発想だという風に、感じてしまうんだ(あくまで自分意見だ)

自分は出来る限りシステムの改良に関わる形で、人類史に痕跡を残して、そのシステムを次世代が受け継いで、よりよい物に改良していってくれればいいと考えている。

何しろ人類なんて、もともと少数の類人猿から始まって増えたんだから、今更自分の血筋も、他民族の血筋もないべ、と思っていたりする。

あと、遺伝子の洗練なんて、ここ数万年、ウィルス対策くらいでしか明確な効果がある変化をしてないんだからってのもある。それに比べて、システム進歩は早い。個体が死んでもシステムは残る。多分、人類誕生してから特に大した遺伝子的な変化を現在までしていなかったことを考えると、何万倍ものスピードだ。

というか、遺伝子の淘汰だって、生物という存在を続けるための一種のシステムだと思っている。

そしてそれより効率の良いシステム、つまりは社会システムが作れたのなら、そちらの進化メインに切り替えた方が良いと考えている。

システムは、時には後戻りすることもあるけれど(概ね生産力が上がりすぎた時か、資源利用の効率が悪かった時)、長い目で総じて見れば確実に前へ前へ進んでいっているようだしね。

多分、そういう発想の違いが、根本的な意見の違いになってるんだろうなぁ。

  • というか、遺伝子の淘汰だって、生物という存在を続けるための一種のシステムだと思っている。 そしてそれより効率の良いシステム、つまりは社会システムが作れたのなら、そちら...

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