罪を憎んで人を憎まず。
ならば、善意善行を貴んで人を貴ばず、も思考的には同じ形式だからあるのかと疑問を抱いた。
でも、この言葉は人が幸せになるためと言う前提のもとに出てくる言葉だと言うことに気がついた。だから後者は前提により否定される。
前提を置かなければありだけど。
頭でっかちな俺の悪いくせが出た。
論理的にどう形式だからと言って同じように扱っては行けない。少なくとも、言葉尻だけではわからない。
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この機会にかるーく調べた。
辞書とネットで調べると「孔叢子」と言う書物が出典のようだ。孔子の言葉とされている。
ネットでは性善説が背景にあるんじゃないかという憶測を見つけたが、定かではない。
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