←↑→の回転でなぎはらいたい。丁寧に3往復ぐらいはしたい。
(あの人間。あの群衆。あのそれぞれ。あれには、老人が若者が男が女が赤ん坊がいて、それぞれの歴史、それぞれの自我、それぞれの世界がきっとあるんだぜ。俺はあのそれぞれから見たら、あのそれぞれの一つなんだ。)
似たようなことがある。歩道で子どもがこっちに歩いてきたとき。
その頭の高さがとてもしっくりきたので、蹴り飛ばしたいなあと思った。
どちらも単純に「そうすれば楽しいかも」と感じたから、そうしたい、と思った。
冷静になって考えてほしい。何故人は必要もない動物のハンティングをするのか?楽しいからだ。
だからきっと、一般論としてだよ。マシンガンで人(動物だよね)をなぎ払うのは楽しい。人を壊すのは楽しい。
「楽しいけど我慢してる」って話じゃない。まずそもそもそういう発想がでない状況で僕らは、少なくとも僕は生きてる。でもたまたま、ふとそういう、まあ残酷と言っていい考えが頭に浮かんだ。浮かんだ時、ああ楽しいかもなあと思って、その感性は人間として非常に正しいというか、自然で、当然なんじゃないかって話だ。
追記
重要なことを書き忘れ。思ってもやったことない。というか、多分僕が人生で物理的暴力をふるったのは、覚えてる限り6回だな。幼稚園生のころ犬の首輪を持ち上げて絞めた(死んでないよ)。同じころ、口論から水筒を同級生に投げた(外れた)。小学3年ぐらいのとき「生意気だ」と上級生から呼ばれ、キンタマに頭突きして逃げた。同じころ同級生とケンカして髪を引っ張り合った。中学2年のころ口論から同級生に殴りかかったらかわされて返り撃ちにあった。同じころ友達の女の子にバカにされたので机蹴って脅かしたらちょっと当たった。
そういうことを楽しいかも。と思う感覚は大事にした方がいい。 そう思ってもいままで大事に至らなかった幸運には感謝した方がいい。
Fランク大生の安っぽい妄想乙。 殺戮の表現がうんこすぎて笑った。 過去の記憶も安ッ。随分しょーもないことをウダウダ覚えてるなあ。 しかも情けない記憶ばっかw