元増田は、それを「文章を読む」とみなしておらず「人の気持ちを読む」ことだと考えていたんだろうなぁ。それでは、小説が読めないのも当然のこと。
かく言う俺も、その比喩表現ってのが、どうもこじつけなような気がして納得できないんだ。浅間山は作者の気分で情景を変えているわけではないし、作者の気分と全く逆の情景を映し出すこともあるだろうに、どうしてそれが比喩表現であったと分かるんだ?
小説において、主観と客観はどうやって見分ければいい?
それが比喩表現であるかどうかを、機械的な方法で区別することはできる?(できないならば、それを区別することは「作者の気持ちを読む」こととどう違う?)
文学作品なんてロクに読まない俺だが、ふと読みたくなって村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだ。 (特に大きなネタバレはしているつもりがないが、まだ読んでいなくて、これから読...
現代文は、どうしようもなく苦手ってわけではなかったが、そこまで得意ではなく小説よりも論述文の方が得意だった。人の気持ちを考える能力には自信がないが、それでも文章を読む...
文章を読む能力だけでいい。語彙が十分にあり、接続詞と助詞・助動詞の役割を意識しながら読むことができ、基本的な修辞技法が理解できていればそれでいい。 それなら、例えば htt...
おいおい、勝手に第三の要素を落とさないでくれよ。 今見てみたけど、まさに基本的な修辞技法の理解を問う問題じゃないか。 しかも、描写された浅間山の情景が筆者の心情の 比喩 ...
元増田は、それを「文章を読む」とみなしておらず「人の気持ちを読む」ことだと考えていたんだろうなぁ。それでは、小説が読めないのも当然のこと。 かく言う俺も、その比喩表現...
学校の勉強や入試で学ぶ「現代文」は作者の気持ちとか根拠不明な解答を用意できないから、 解答は本文の中にあるのが一般的なのにな。
あのさあ、もう小学生じゃないんだから、本読んでいちいち「僕の感想は・・・」とか考えなくていいんだよ。 読んで楽しかったか、つまんなかったか、それだけでいいの。
無理に感想を考える必要はないが、何ら感じることができなかったのなら、作品が糞か、読者が糞かどっちかであろう。
そのよく分からないが文学なわけで あらすじだけでは味わえない“もやもや”を得るために みんな糞みたいに時間を使って糞みたいな文章を読むわけだ。 だから、感想をキッチリとし...
その「もやもや」が良かった/悪かったを決めるのは、何なんだろうか。 ハリー・ポッターは面白い「もやもや」だったけど、村上春樹は、そんなに面白くない「もやもや」だった。 ...
自分の場合 「ハリー・ポッターは、もやもやできなかったから途中でやめた!ケータイ小説はもやもやできそうにない!村上春樹はもやもやできた!」 という感じ。 ただ村上春樹に対...
小説のセオリーとして、主人公の居る場面で雨が降っていたら、悲しみを表わしているよね。 何も言われずに文章読んでたら「ふーん、雨降ってるんだー」としか思わないことも、結...
「もやもや」というのはある一つの感情じゃなくて、言葉に出来ない感情の総称なんだよね。 「あのもやもや」と「このもやもや」を明確に分けるには、それぞれが当てはまる単語が必...
ああ、わかる。村上春樹の良さがまったくもって分からない。と、いうか春樹の文章が読めない。 「ノルウェーの森」はあんまりにもどうでもいいことでぐだぐだぐだぐだしてるので、...