あなたはどちらを選択しましたか?三次の偽者か、近づけない二次の本物か。
思ったのですが、二次元が三次元の代替だったのは初めの頃だけではないでしょうか?
三次元での欲求不満が”きっかけ”となって二次へ踏み入った。でもその先で手に入らない宝石を見つけた。見るだけ。そして今度はその宝石の代替として三次元の物は利用できないだろうか?と感じ始める。
つまり「三次の代替の二次」がしばらくすると「二次の代替としての三次の可能性」となった。
亡くした恋人の代わりにアイドルを好きになってみたら今度はアイドルの代わりが欲しくなった、と言った具合に。
とはいえ三次だろうが二次だろうが本質を言えば「女」に変わりは無いので、二次元の代わりに三次を見ているのか、それとも三次が欲しいのかの区別が自分でもつきにくい…、そういう心理の流れがあったのではないかと考えているのですが、どう思います?
個人的には、「三次も二次もどちらも欲しいと思っているが、三次には三次の良さが、二次には二次の良さがあり、でも近づけるのは三次だけだし、近付いたことがあるのも三次だけなのでどうも二次の方がニセモノのような気がする」というような感じです。
二次オタに対し「現実逃避」だとか、「代替で我慢」だとかいった類の言葉を投げかける人がいる。 今まで反発していたけれども、本音を言ってしまえば、その通りだ。 現実で抱き締め...
あなたはどちらを選択しましたか?三次の偽者か、近づけない二次の本物か。 思ったのですが、二次元が三次元の代替だったのは初めの頃だけではないでしょうか? 三次元での欲求不満...
本来、代替になり得ない2者を同列に並べる発想がおかしいということに気づいてないのかな。 一人の個人と、妄想や共同幻想が作り上げた仮想人格を同列に扱うことに違和感は無いの...
一個人がどんな存在であれ、それを観察・認識する人にとって、その人の人格はたんなる観察者の妄想・幻想に過ぎないよ。ただ、二次元の存在では、妄想中において恣意的な人格の改...
君は自分自身の人格がそんなものだと思っているの? 自分だけは特別だと思うなら、他の人も特別である可能性に気づいてください。
二次で何を代替しているんだろう? 二次で代替できるのものは少ないんじゃないだろうか。代替を続けていくことで徐々に三次との接し方に支障をきたす恐れがある気がする。