直情的に動くなら、余計な小細工はしないで感情の全てをぶつけろ。
理論に徹するなら、底を深くして冷徹に揺さぶれ。
確固たる攻守のスタンスを貫き通せ。
どんな状況も、なんてことない顔してスタイリッシュに楽しみ続けろ。
手を休めるな。少しでも相手の優位に立て。
どんな甘美な好機も、己に酔った間に意味は立ち消える。
攻撃の優越感を機動力にしろ。スキを与えるな。
"過程のヴィジョン"を描き続けろ。
弱みや傷を見せるな。動揺や痛みは隠し通せ。
防御を選ばざるを得ない状況であったとしても、
"攻め倦ねている"のではなく、"誘っている"状況を作るように律せよ。
しかし。
いくら理論武装をしたところで、
自らを言い繕った"フリ"をし、己を奮い立たせたように"思い込むの"は、
最終的には無意味だ。
それが建前であれ本音であれ、所詮自分の1ピースをいたずらに相手に提示するだけ。
何もかもが相手に見透かされていたとしたら?
その時点で敗北は決まっている。
闇雲に野心や信条を露見する行為は、結果、
手痛い形で代償を被るものであることを自覚し、自制しなければならない。
肝心なのは自分がどう在りたいか、そのためにどう動いたか、であって、
戦いにおいて、"言葉"は最終的な鎧にはならない。
身を挺して自身を庇ってくれるものにはならない。
確固たる「意思」を「覚悟」できれば。
無意識で自ずと自分の行動に現れる。むやみに曝け出す必要はない。
それでも声を張り上げるのは、
結果の先に何かを狙っているからだ、と、
相手の思考を喰う為だ、と、思わせたいからだ。
そう、切り札は最後まで見せるな。
そして、それを切り札だと悟らせるな。
相手の真意を暴け。
結局のところ、最後に笑っていられる奴がいちばんかっこいいんだ。
どうにも小者感が拭えんなあ。
つまり長生きをしろ、ということですね。