なんだか知らないけど、唐突に姉がつぶやいた。
うちは母親だけが信仰宗教をもっているが、他の家族はほぼ無宗教だ。
なんでそんなことを言い出したんだか知らないが、その前提条件がまず違う気がする。
というか、姉にとっては宗教=いいことがあるということだったのか。
私は過去に、ごく親しい友人にこういって勧誘されたことがある。
私は何もかもうまくいくようになった。
仏壇があるのもよくない。地獄に堕ちるよ」
もともと母の信仰に懐疑的だった私には、完全に逆効果の言葉だった。
友人が信仰によって救われたなら、それは否定しない。
しかし、私が懐疑的であることを知った上で、
帰宅不可能なところへ連れ出しての強引な勧誘だった。
精神の安寧をもたらしたりするものではないのか。
「信仰するといいことがあるよ」
信仰者も、ようは私と同じことをいいたかったのかもしれない。
だけど、ニュアンスというのか、その「いいこと」というのが、
どうも現世的利益ばかりをさしている気がして、私は素直に聞くことができなかった。
彼らの浮かべる笑顔が、なぜか同じに見えるのが気味悪かっただけかもしれないが。
姉が何を言いたかったのかがわからなかったので、そのまま上に書いた話をした。
彼女が納得したのかどうかは知らない。
本邦の宗教観が<現世利益>志向に偏っているのは、 社会学的には、定説なんじゃないの?