最近性暴力の表現の規制に関して話題が盛り上がっているようですが、疑問に思った点がいくつかある。
いくつか論点があると思う
表現の自由やそれを通して主張したいこと、趣味、妄想などと、性暴力被害者やそれを嫌悪する人たちとの間で何らかの折り合いをつけていかねばならない、というのはOKです。
大人なんだからそうなるでしょう。そしてこれは規制などしなくても簡単に解決できるのではないでしょうか。
また、性暴力を助長するなどという主張はよくわからない。統計もあるのかよくわからないし、殺人表現の方がより多いのだからそれで統計とってみてはいかがでしょうか。
また、殺人という話が出てきましたが、これは論点の2つめとも係わりますが、なぜここまでの嫌悪感を感じさせるのか、なぜ他の表現はそこまでではないのか、ということです。
おそらくですが、対等ではないという意識があるのではないでしょうか。子供は弱いです。女性も基本は弱いです。ただ、殺人にかけてはその辺にある包丁一つで強弱は(あまりに小さい幼児でない限り)入れ替わり、皆対等です。
性暴力は対等ではありません。裸の男と裸の女では9割男が勝ちます。子供ならなおさらです。
M男はいいんです。本気だしたら勝てますから。
基本的には弱者をいたぶる行為に嫌悪感を感じる、ということです。
強者は弱者を守るべきであり、かつ守っているという自負心こそが彼らの原動力であり、その自負心が傷つけられ、しかもそれは表現である以上止められない(表現の世界で起こっている暴力を止めることができない。目の前で繰り広げられているのに。延々表現として流れ続ける)ので非常に悶々としているわけです。
その辺の気持ちの問題なので、もうちょっとその辺をぶっちゃけると意味のある議論になるかな、と思いました。
なんか文章下手ですね。すいません。