すこし考えたのだけれど。
「普通」のひとには、「諦める」ことによってなれるものではないのかな。
子供の頃に、野球選手に憧れた、アイドルになりたいとおもった、小説家をめざしていた、ミュージシャンがかっこよかった、ゲームプロデューサーが楽しそうだった・・・けれども、そんな夢を諦めることによって、普通の生活が手に入れられる。
誰かを好きになることは「普通」の状態ではない。自分を失うほどに、こころを掻き乱される。平穏な日々が遠ざかる。それが、赦されない恋であればなおさらだ。ひとの倫理を外れた恋は、赦されないからこそくるおしい。
でもね、堕ちた恋はなかったことにはできない。ちょっと島田雅彦っぽい表現だけれど。
「普通」に生きていたら経験できなかった時間を、恋をすることによって生きることができる。それがどんなに苦しいものであっても辛いものであっても。「普通」ではないがゆえに、その時間は尊い。
普通ではない経験は、深い思考へと誘う。「普通」って何だろうなんて、「普通」のひとは考えない。「普通」にどっぷりと浸かったひとは自覚なしに普通を受け止める。哲学するひとは、普通のなかに普通ではないものを見出す。
そんな人生もいいんじゃないかな。だからぼくは、普通ではなくてもいいや、とおもう。そうしてあなたのことを、あいしつづけようと考えている。
好きになった人が20も年上で既婚者だった場合、普通は「諦める」のかな。 そもそも、好きになったこと自体が「普通」じゃないのかな。 普通ってなんなんだろう? ずっと、そんなこ...
好きになったひとが20歳年下でした。 「諦める」なんて考えもしなかったなあ。 過剰なほどに惹かれていたので。 けれども、いつしか酷いことばで傷付けてしまった。 そのひとが大...
すこし考えたのだけれど。 「普通」のひとには、「諦める」ことによってなれるものではないのかな。 子供の頃に、野球選手に憧れた、アイドルになりたいとおもった、小説家をめざ...
http://anond.hatelabo.jp/20090609215237 あきらめきれないからなきそうになった。 普通じゃないってことは異常か。異常は、生きてくのがしんどい。
また、すこし考えた。 「普通」の反対は「異常」ではなくて「特別」ではないかな。普通であることは容易いが、特別であることにはリスクがともなう。特別であるからこそ素敵なこと...