http://d.hatena.ne.jp/nodada/20090418/p1
この記事を読んで昔を思い出した。
ちなみに、上の記事とこれから書くことはほとんど関係ない。
そんなことを考えていた。
幼稚園児の頃に好きになった相手は女の子で、つまり俺は異性愛者だった。
だけど、ある日とつぜん自分が同性を好きになるんじゃないかという恐怖があった。
特に中学生の時、その恐怖は強かった。ホモだったらどうしようとばかり考えていた。
橋の下に捨ててあったエロ本を開いて、それがホモ本だったとき、ちんこがまったく反応しないことに安堵してたりしてた。
20歳までにセックスできなかったらホモになるという噂に本気で恐怖してた。
ほんとに自然にいつの間にか立ち消えたため、今の今まで恐怖なんてすっぱり忘れていた。
なぜ恐怖感は消えたのだろう?
二十歳をいくつか過ぎた今、当時を振り返ってみる。
ひとつ、思い当たることがある。
それは露出の本だった。
雑誌写真の大半が素人投稿だったためモデルの質は残念だったが、それでも俺は最高に興奮した。
街でコートの女性をみるたびにもしやあのコートの下は裸なんじゃなかろうかと妄想した。
もうひとつ理由があるかもしれない。
異性愛と完璧同じほどには認めてないけど、まあ同性愛も別にいいじゃん? って程度には受け入れた。
だから恐怖を感じなくなったのだと思う。
しかしあの恐怖感はなんだったんだろね。
社会に弾かれるかもしれない恐怖、だったのかな。
『アリスの算数パズル』を思い出した。 私、セロリが嫌いで本当によかった。だって、もしセロリが好きだったら、セロリをたくさん食べなくちゃいけなかったもの。