さっきお風呂でふと考えた
正確には、買う雑誌を選ぶようになった。
理由は単純である。金を払ってまでして得られるものがない雑誌に価値はないと考えるようになったからである。
例えば音楽雑誌。ほとんど音楽をとして「消費」している私にとっては、彼らの人生、作品の制作過程や曲の解説はトリビアルなネタにすぎないものだ。年末のベストディスクが特集されている号だけは買うが、それはリストアップされたCDを購入する指針に便利だから言う理由にすぎない。あくまで記号的な消費である。
また、こういう言い方をすると傲慢と捉えられるかもしれないが、明らかに自分より頭の悪い人たちの言葉を読んでも論理的思考力は向上しないし、人生にプラスになる知恵や知識を得ることも期待できない。
スポーツ誌は言うに及ばず。内輪の「ネタ」の集積体。サッカーの戦術が役立つのはサッカーの枠組みの中だけである。ある方面に精通していることはとても良いことだが、私は精通するために雑誌は利用しない。必要な情報はインターネットで充足可能である。
エロ本はとりあえず手っ取り早く抜くためのツールだ。記号的消費に傾倒して内実が無いという意味では私にとってロッキンやサカマガはエロ本と等価だ。
私が買う価値があると考える雑誌は公共的で、知識や知恵を取得できる雑誌である。
公共的とは多くの人に関係があることである。これから社会人になる自分にとってコミュニケーションツールとしての公共性は必要になる。
知識や知恵を取得することを雑誌に求める必要はないのかもしれないが・・・
というわけで最近はサイゾーくらいしか買わない(というか、お金がなくて買えない)新聞をとっているため週刊誌は買わなくていいかなと。
そーいや新聞に西原さんが 「新聞が売れない理由はネットのせいじゃない。 新聞は昔から変わらないからだ。 面白いものにしよう。」 って書いてあったけどさー カラーページが増え...
結構変わったって言うけど、それって読んでる人が面白いと思うような変化なのかなあ? 件の西原さんは「とにかく変われ」じゃなくて「面白く変われ」って意味で言ってるんでしょ? ...
・カラーページが増えた → ○ ネットなら全部カラー写真なわけで、当然の対応。 ・昨日の出来事な記事からコラムな記事が増えた → × 新聞コラムとそこらのおっさんが書...
あと昔の新聞はいまよりずっと紙が厚かった。
元増田は「こんなに自分は頭がイイアピールしてるのに、オチはサイゾーかよ!」というツッコミを期待したネタなんじゃないかな? サイゾーで論理的思考力を向上(笑)人生にプラス...