家の電話持って来れるわけないじゃん。外で言ってるなら簡単に区別つくでしょ。
しかも区別しなきゃならない理由もないし。携帯電話なんか「持ち運びできるただの電話」だからな。それ以上でもそれ以下でもない。
それが区別できないと言うなら「車で出かけよう」と言った時いちいち「何の車? 3輪車?」っていうのかっていう。
そんなもの言わなくてもわかるわけで。
ではどうして自動車で車なのかと言えば車の部分が物そのものの名前であって、自動は修飾してるだけなんだろう。
そして古来より略すときは修飾してる方を略す。高枝切りバサミはハサミだし、回転寿司は寿司だし、電動歯ブラシは歯ブラシだし。
それがなぜか携帯電話においてだけ全く違う現象が起きていて、このことに違和感を感じないメンタリティを「流されてる」という。
違和感を感じた上であえて使っているのであればいいとしよう。
つまり流行語だとわかってて流行語を使うのはいいんだよ。流行語なのにまるで昔からある言葉であるかのように疑問に感じない心性を「流されてる」というだけで。
そもそも「ケータイ」が家電のカテゴリ分けにあたって「電話」のカテゴリに入れられてるかどうか、 ってところは大いに疑問だね。 時計、デジカメ、メール/ネット通信端末、テレビ...
確かに 「ケータイで時計見る」「ケータイで写真撮る」「ケータイでメールする/ネット見る」「ケータイでテレビ見る」 と言う会話は違和感無いけど、↑を「電話」に変えたら違和感...
変な方向に厨二病だなお前w まあ春だからな。
嗚呼、俺の立場はどーしてくれるんだ? と草葉の陰からピッチ様がお嘆きです。
「持ってくる」という会話なら区別が付くけど、付かない場合もある。 例えば「ここに電話番号書いてください」「携帯のでもいいですか?」と言う会話の時は「電話」じゃ区別付かな...