「みんなで力合わせて頑張ろうよ!」
「なんでやる気ないの?」
「せっかくみんな一緒に頑張ってるんだから、練習しなきゃ!」
「やる気ない人がいると、みんなに迷惑かかるんだよ?」
とどめに「中学生活最後なんだよ?」+泣き落とし。
校内イベントを前にしての、やる気のない男子とせっつく女子というのは日本全国津々浦々にわたっておなじみの光景だと思う。学祭とか合唱コンクールとか。
奴らの唱える魔法の呪文は、いま思い出しても胃がむかつきはじめるほど不快だ。ネタにできるくらいには過去の話になったけど(ちょうどさっき、友人がふざけて呪文を詠唱しはじめて爆笑させられた)。
あの手の決まり文句がなんでイラつくのか考えてみたんだけど、これは大きく分けて2つの言葉で説明できると思う。「数に任せた同調圧力」と「価値観の押し付け」。
奴らは「いろいろあったけど一致団結して目標にむかって取り組んだ輝かしい思い出」を作りたい。そのこと自体には異論はない。思い出はいつの間にか出来上がってるもので、わざわざ捏造するようなものではないとも思うけど、まあそれはいい(起伏のない日常がどうたらこうたら、某ワゴン車のキャッチコピーのごとく「モノより思い出」を重視するように女性は出来ているうんぬんかんぬん)。
思い出作りはいいとして、そのために(無意識にせよ)狡知を凝らして集団を動員しようとするのが、たまらなく不愉快なんだよね。「思い出が欲しいから協力してくれない?」って素直に頭下げればいいのに。まあ無理か。
ともあれ、こういうイベントって前提として数十人が協力しなきゃいけないから、どうしても気の進まない人間が出てくる。男子の大半とか。
そこでどうするかっていうと、まず「数に任せた同調圧力」。こういう状況では女子は団結するので多数派となって、学校行事というお題目も手伝って同調圧力が働く。そこで登場してくるのが「みんな」という葵の御紋だ。「頑張ってるみんなvs迷惑をかけてるあんたら」という構図に持ち込めば、日本人はなんだかんだで従わざるを得ない。水戸の御老公乙。
これはこれでイラつくのだけど、もっと気に食わないのが「価値観の押し付け」。「今頑張らないと将来絶対後悔するよ!」って、おまえは俺のオカンか、細木和子かっつーの。同格と見なしている存在に説教されるほど、腹立たしいことはない。
実のところ、後悔するのは誰かって、当の女子なんだよね。それを外部に投射してくるのもまた不愉快。俺はおまえじゃない。
こんなの社会じゃ当たり前の光景だって言うかもしれないけど、社会化の過程にあるからこそ反発する。ただでさえ敏感な思春期だし。そういう意味では、同じイベントでも高校になると、あんまり「真面目にやれ」「協力しろ」と踏み込まれなくなるのも必然なんだと思う。女子は女子で、適切な距離を学ぶから。
中高とも男子校で、大学は理系、就職先も女性の少ない部署だったので女子集団のウザさがよくわからない。 でも、体験したいもんじゃないから良かったのかな。
男女関係なく 「みんなで力合わせて頑張ろうよ!」 このノリは嫌いだ。 仕事ならやるが、学校は勉強するところなんだよ。 学校では多様な個性を認めてほしかったぜ。 全員が「明る...
そういうのはむしろ大学のゼミに入った後に体験した。そんな昔の話じゃない。 今思うと、そのゼミを選んだ自分も悪かった。後になって周りから「宗教」と揶揄されていることを知っ...