茶髪は良いか悪いか、それを校則で禁止にすべきかどうか、っていう結論の部分に注視している感じがあるけど、むしろそれよりも教師や生徒の間でそういった議論が交わされているかどうかの方が重要だと思う。
その結果というのであれば、どういう結論に至ろうともそれぞれが話し合った結果だろうし例えばそれが学校ごとに異なった結果となろうとも全く問題ないとは言わないが個人的には別に悪い事じゃないと思う。
何が良くて、何が悪いのか、そういうことを「人が決めたから」とか「元から決まっていたから」ではなく自分達で考えて決めていく事でより良い結論に至るだろうし、指導の際の教師と生徒の意識の差を埋めるきっかけだったり生徒が校則やルールを守る事の意味や意識を高める事にも向かうと思う。
もちろん、それで全て良い方向に行くとは思わないし時には悪い結果になる可能性はあるだろうけど、少なくとも「元から決まっていたからそれに従ってただただ指導をする」をいうのが良い教育とは思わないし「人に決められたルールをその良し悪しも考えずにただただ守る」ということが良い社会人となるための生徒のあり方だとは思えない。
結果を求めるだけではなく、そのための思考を自ら行いどう結論に至るかを経験する事のほうが大切。