唯一神ときたらたいしたもんだ。
すべての神話をしたがえて、神を天使といいかえる。反対者なんかこしらえて、勝負のきまったいくさもやった。どんな仮説があらわれようと、すぐその一段たかくにのぼる。まるで砂漠のけむりのようだ。あとだしだけどしかたない。
自分は天のいちばん高く、玉座にすわって眼をつむり、なにするでもなくだまっている。これほどたいしたものといったら、ほかにはインドでみつかった、ゼロくらいしかないだろう。
唯一神ときたらたいしたものだ。それにこのまえしつらえて、うまく自分のものにした、人間もじっさいたいしたもんだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。唯一神はもちろんずっとだまってなにもしないのだけど、ただいるだけでありがたいとか、なみだをながしておがまれる。けれどもそんなにうやまってるのも、やっぱり主人が偉いのだ。
じっさい人間は信心だよ。それというのも唯一神が、頭がよくてえらいためだ。唯一神ときたらたいしたもんさ。
唯一神かね。その唯一神は、俺も言おうとしてたんだが、いまじゃちょっと落ちぶれたな。
まあ落ち着いてききたまえ。いま話してた人間たちを、唯一神は少し放置し過ぎた。何するでもないからしかたないが、人間は妙に考えこんだ。時には冷たい白い眼で、じっとこんなに唯一神を見おろすようになってきた。
いまのいまでは人間が、唯一神をつくったことになっている。もし唯一神というやつが、人間たちをつくったとして、なら人間のほうだって、形のなかった唯一神を定義したからおあいこだって。別に頼んだわけじゃないがね。
おや、君、川へはいっちゃいけないったら。
コピペの練習です。