2009-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20090123005508

思い出は,思い出している時に最古末井されているから

厳密な意味で「正確な記憶」ってのはあんまり存在しないんだよね。

(例外としてフラッシュバルブ記憶という写真みたいにある場面を覚えているという記憶はありますが)

例えば,

気分がいい時にある思い出を思い出すと

そのときよりもよりポジティブな思い出になったりする。

逆もしかり。

そういう風に考えるとすべての記憶

その時の自分が再構成した過去=つまり作り物だと言える。

だけど,それを誰かと共有することで

自分の再構成された記憶と相手の再構成された記憶がうまく相互補完的に働くんだろう。

その結果,ある思い出はより美化されたり,正確になったりする。

そう考えるとさ。

自分1人だと,ネガティブな時はポジティブだった思い出もネガティブに感じるけど。

そのポジティブな思い出を共有した人とその思い出について喋れば

1人で思い出すより「正確に」ポジティブな思い出や「美化された」ポジティブな思い出になるんじゃないかね。

なんて思った。

記事への反応 -
  • その出来事を覚えているのが自分だけで その話題を話し合える・共有できる相手がいなくなってしまったら もうそれを思い出として残している意味がないのでは?と,ふと思った. 他の...

    • 思い出は,思い出している時には再加工されているから 厳密な意味で「正確な記憶」ってのはあんまり存在しないんだよね。 例えば, 気分がいい時にある思い出を思い出すと そのとき...

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