一緒に帰った先輩が、傘立てにあったビニール傘をさも当然のように持ってきた。放棄された傘ではなく誰かが使っていそうな感じだったので、ちょっと気にするそぶりを見せたが結局それを持って帰った。
まだフロアには人が残っていた。その中の誰かのものだったかも知れない。
「誰も使ってないものならともかく、それはまずいですよ」と俺は言えなかった。
この先輩いい人だ、と思っていたけどこれは尊敬できないなと思った。
しかしそこでふと思い出したのが、自分も放棄されたビニール傘ならば何度か拝借したことがあるという事実だった。
俺は都合良く忘れていた。そのなかには現役のものもあったかもしれぬ。
いや、俺は何の負い目も無く持って行く様な横柄な人間ではない点、先輩よりましだ、などと思ったがこれは五十歩百歩であって同類だ。
人の振り見て我が振り直せ。
反省だ。
話は飛ぶが、まるで小さな子供がそばにいるかのような気持ちで振る舞うと、今まで自分がないがしろにしてきたり、あえて悪ぶってルールを無視して来たりしたところが浮き彫りになるかも知れない。ルールに敏感になったり。
このまえ、黄色い帽子をかぶった小学生たちが横断歩道をきちんと渡るように見守るママさんたちから、横断歩道のない所を渡った俺に冷たい視線が向けられてそう思った。そのときは「あなたがただって今まで大なり小なりルール違反をしてきたのに子供ができたとたん、それかよ」とおもったが。
話はさらに展開して、俺があえてルールを無視するようになったのは、もともとあまりにも義務感が強く杓子定規で融通が利かなくて、それが自分を苦しめる呪縛になっていたからだ。それから自由になろうとした。社会的なルールを破ることで、自分の殻をも破ろうとしたのだった。
まあそれはあまり成功しなかったがね。
人としてブレたおかげで少しだけ多角的な視野になったか。
「あなたがただって今まで大なり小なりルール違反をしてきたのに子供ができたとたん、それかよ」とおもったが と思うことで自分で自分に言い訳しないといけない行動はやめればよい ...
http://anond.hatelabo.jp/20090122211457 いいわけってつもりは全くなかったなあ。 感想だった。 都合のいいもんだなっていう。 俺もそうなんだけどさ。