乱暴な一般論化と言われるかもしれないが、念仏者たちを観察してきた経験上から言えば、
長いものには巻かれろとか、石橋を叩いて渡るならまだしも叩き過ぎて壊すとか、迷って迷って自分ではなかなか決められないとか、お上には逆らえねぇとか、どうせ生きてるの無駄だとか、どうせ俺なんてとか、人の幸せの為に自分を犠牲にしますとか、生意気なこと言うなとか、こういう権力者に迎合しやすくて女々しいナヨナヨな気質を作ったのは全て念仏思想ドグマだよ。
死んでから極楽逝きますとか言ってるから生きるちからが弱っちくなるんだよ。
釈尊はとんでもないスーパーマンで、凡夫はとうてい仏の足元にも及ばない馬鹿だから易しい教えしか救えないとか、経典の批判を直接しない代わりに、浄土三部教以外の経典を聖道門というレッテル言葉で持ち上げ褒め殺しにし、信仰の道を閉ざして有名無実の無用の長物にしてしまった。そんなのは中国のドンランが作った歪曲教義でしかない。
彼らは一見謙虚そうな態度にみせて、実は理想化された釈尊に押しつぶしされた卑屈根性に過ぎない。それは
そして、その信仰の意識すらないものであっても、念仏ドグマの影響に毒された思考のひとをたまにみる。
しかし、
そして、阿弥陀仏も西方浄土も、どこか遠い違う世界にあるのではなくて人間の心が生み出した概念に過ぎない。
現実にはありもしない西方浄土や阿弥陀仏を追い求めるのは現実逃避のオカルトだ。
鎌倉時代の封建社会のなかで権力者に念仏が重宝がられたのは、民衆を無力化して大人しいく飼い慣らすためだ。
法然が仏教を仏に成る宗教から、仏にすがる宗教に変質させたのだ。
だから俺は、織田信長のように念仏嫌いだ。
権力者に迎合しやすいはずはずなのに一向一揆とかで権力者に逆らいまくるのはなぜ? 本当は下永劫しやすいなんてことないのでは?迎合しないからこそ信長にも嫌われたんだろう。
>権力者に迎合しやすいはずはずなのに >一向一揆とかで権力者に逆らいまくるのはなぜ? 戦国時代では一向宗そのものが戦国大名として権力を誇っていたからじゃないかな? 本願...
顕如の「全体鼓舞」はめちゃくちゃ便利。 本陣から鼓舞できるから部隊の防御力がハンパない。
そのスキルほかに持ってるの秀吉だけなんだよね。