ああいう支援団体の活動をゆがめないようにするためにも、さらっと「日比谷公園では500人分の炊き出しが行われました」「~公園では…が行われました」のように事実のみを述べてほしい。
控えめが美徳とされ自己主張を嫌う日本人らしい意見だと思ったけど、実際には、そのやり方では支援も注目も集まらない。個人が前に出てガシガシ押していく方が、結果として支援は集まる。ただの事実よりも個人の具体的な顔と声に動かされる人の方が多い。批判者にばっか目が向いてるとこういう無言の支持者のことを忘れがちだが、世の中の多数は素直で安直で、素朴なマーケティングが通用する。活動の当事者とメディアは、大抵このことを知ってる。
同時に売名だの実は商売だのという声も必ず出るが、こういう声が出るのは有名税の一種で、避けることは出来ない。活動がある程度影響力を持った証拠のひとつとも言える。だからって批判を聞かなくてもいいってんじゃなく、批判の声があれば耳を傾け正当な内容が含まれていれば活動を修正すべきだが、批判があることそのものに必要以上に振り回されたり、批判を無くすことが目的化してはいけない。活動の目的のために最善の手段は何かと考え、批判を参考に修正していく。
社会を変えることを志向する以上、一定の人々にとってはうるさい存在となることは避けられない。嫌うんなら俺を嫌え!という覚悟が必要。
なお、この他の部分は同意する。
「年越し派遣村」が話題になった年末年始。 ネット上には、だいたい次のどちらかに該当する意見が挙げられていたように感じた。 自己責任論であったり、「派遣」という契約形態で...
ああいう支援団体の活動をゆがめないようにするためにも、さらっと「日比谷公園では500人分の炊き出しが行われました」「~公園では…が行われました」のように事実のみを述べてほし...
さすがにそれはないだろwww
元記事投稿者です。関連箇所に下記の加筆を行いました。 >>ああいう支援団体の活動をゆがめないようにするためにも、さらっと「日比谷公園では500人分の炊き出しが行われました...
元記事投稿者です。関連箇所に下記の加筆を行いました。 ああいう支援団体の活動をゆがめないようにするためにも、さらっと「日比谷公園では500人分の炊き出しが行われました」「~...
ネットでの議論を、真に受ける人が増えてるのが問題だと思う。 自分の事を棚に上げて、色んなところに自己責任論を繰り返し書き込むニートが多いのに。
「ニートが多い」というのを真に受ける人が増えているの大問題だけどな。