2008-12-17

夢見る装置

好きな夢を見ることができる装置を想定することがある。

夢を見ているあいだは、それが夢だという確証を得ることはできない。夢の中である条件を満たすと、夢から覚めることができる。条件とは、例えば自然死や事故死、病死などだ。こういうわかりやすいもの以外の条件を設定する人もいるかもしれない。条件は夢を見る前に好きに決めることができるが、夢の中で条件の内容を知ることはできない。夢の中でどんな人生を辿るかを設定することができる。そんな装置

現実世界で満たされず、不幸な人生を強いられている人は、不幸からの解放を願って幸福人生を夢見るだろう。現実世界で満たされた人生を送り不幸を知らない人は、不幸な人の心情や考えとはどんなものかという知的好奇心が湧き、あえて不幸な人生を夢見るかもしれない。

いま我々が生きているこの世界装置が見せる夢かもしれないとか、単にこの世界は夢ではないかと想像した経験は誰にでもあると思う。不幸な人生に甘んじている人は、死んで夢から覚めたあと、幸福人生が待っていると想像するだろう。才能や運に恵まれ幸福人生を送っている人は、死んで夢から覚めたあと、不幸な人生が待っていると想像して不安になり、右往左往するなんてことはないのだろうか。たしかに夢見る装置なんて想像にすぎない。しかし、死後の世界が解明されていない以上、死んだあとどうなるかの可能性はすべて等しい。天国に行く可能性も、地獄に行く可能性も、無になる可能性も、夢見る装置存在する世界が待っている可能性も。

ひとつ言えることは、自殺したいほどの不幸に追いつめられている人にとって、死後にどうなるかは楽しみでしようがない。死んだあとどうなるかの可能性はすべて等しいのだから、少なくともいまより不幸になる確率は低い。論理的に。

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