自分の数少ない趣味にある、ゲームとか、はてな(増田)とか、Twitterとか、もう本当はやめちゃっていいと思ってる。
時間を食いつぶしてるだけだし、少なからず楽しいとしても、本当はそんなに楽しくないんだ。
それでも辞められないのは、上に挙げた趣味が、娯楽とかそういうのを超えた、自分の本分とか拠り所とかに確実になってしまっているし、
上に挙げたデバイスを通して、誰かに、もしくは自分に、自分の存在する価値を産み落とせないかって、良からぬ妄想を今の今まで続けてるから。
価値証明の手段としての可能性をどうしても捨てられないから続けてる。
でも、いざやめるとなると、自分にとって重要になってる要素を切り落として断絶してしまうことであって、
自分にとって、おぼろげでも形成されていたかもしれない自分の価値を真っ向から否定することになる。
そうなると自分は、誰にも自分の価値を認識されないまま、誰からも認識される可能性のない暗い世界をネガティブな感情に包まれて怯えたまま生きていくことになる。
そこで何か光明を見つけられるように頑張れば、何か見つかるかもしれないし
その世界で味わった苦しみは、自分にとって新たな世界を拓くための生みの苦しみであるかもしれないけど、
結果的にそうならずに報われないことへの恐怖で頭が一杯になってる。誰にも認識されない期間があることが、怖い。
・・・そもそも、今続けてる趣味もいくら努めても報われない点では全く同じで、慣れが苦しみを無くしただけか。
大体、産みの苦しみは今生生きてる誰もが感じてきたことで、それに耐えられないのは自分がどうしようもないヘタレだからか。
言い訳を百並べて怠惰を美しく飾ろうとしているだけか。そうやって他人の圧倒的な価値の前にひれ伏して隷属するだけなのか。