日本で大学の門戸は現在かつてないほど広く開かれている。よくまあこういう状況で「受験産業」などという業者が生き延びることができていると感心するほどだ。
かつては「一流大学」なるものに合格するのには、強い意志や金銭だけでなく持ち合わせた才能といったものが必要であった。受験が競争でなく「戦争」と呼ばれた時代、確かにそういう「格」のようなものはそこにあった。
それは単純に『人口ピラミッドhttp://homepage2.nifty.com/yarimizu2/japan2-2.html』を見ても分かる。世代ごとの人数の歴然足違い、そして平成10年作成のこの図の10年後の現在、図では10から8歳辺りの子供が受験期に当たるわけだが、彼等にとっての「受験」がどのようなものか?
大した才能など無しに……というか、学ぶ意欲も意志も能力も欠けていても、いわゆる「日本の一流大学」なるものに合格できるのが現在の状況である。「金が無ければ」云々は単なる妄言でしかない。
いわゆる「日本の一流大学」なるものに合格できるのが現在の状況である。「金が無ければ」云々は単なる妄言でしかない。 ・・・まあグラフしか見てない世間知らずの意見はこんな...