時代・性別・年齢・接してきた情報の量や質・知的レベル・その時の文脈(TPOとか)なんかで容易に変わるものなんだよね。
恋人がじゃれあうときに相手に『もーバカぁ(はあと)』という文脈で使うのと、
親方が弟子に対して怒るときの『バカもん!』というのと、
相手を本当に侮辱する『バカやろう!』
同じバカという言葉を投げかけても、愛情の度合いなんかが変わるもの。
そもそも言葉の意味なんて成立時点でかなり恣意的なものなんだよね。
コミュニケーション不全の人はそういうことがわからない人もいるらしいし、そういう病気もあるみたいだね。
だから、論文書くときや議論のときには言葉の定義をきちんとしてからなすべきだというのがセオリーだよね?
そもそも「議論」って言葉の定義があいまい