暴言を吐くサヨクに失望する人がいて、一方には喜ぶ人もいる。
「シャカイを改善してくれるんじゃないかって期待してたのに…。
サヨクがそんな汚い言葉で人を罵倒するだなんて」って失望する人がいるし、一方
「ほら、サヨクなんて大体、昔からこんなもんだよ」って
したり顔で勝ち誇る人がいる。
これらの非難は、それ自体としては傾聴するには値しない。
勝手に期待して失望してろよ、みたいな。
だがこれらの言説は、サヨク/ウヨクの対立の在り処を示している点で、
興味深いものでもある。
仮にもしも人々が「十分に理性的」であれば
より良い社会が実現できるはずなのである。
右翼が依拠するのは、個人を超えた「全体性」だ。
コトワリを超えた何かが、世界を支配している。
もちろん、左右の対立は、カレーとスパゲッティのどちらを選ぶか、
というような対立とは異なるものだ。
それは左右というよりは上下の軸の対立だし、
円環を為すものだとも言える。
大衆はたいていの場合「中道」であり、ニヒリスティックである。
左翼って高潔な理想を語ってるけど、あなた方だってしょせんは同じ「人間」でしょう?と。
この理性に回収されない「残余」が、やがてナショナリズムに回収されるんかもしれない。
図書館ホームレス論議における「本音」語り(誰だって臭いのは嫌でしょ?)と、
左翼的な理念の究極の基盤は自律的個人であり、 … 右翼が依拠するのは、個人を超えた「全体性」だ。 ふーん、非モテってこういう程度の頭か。
それは非モテではなくただのネット左翼
いわゆる社会的排除の概念を野放図に展開すれば、非モテであることも 生存権への侵害、人権問題だと主張出来るようになるのかも知れない。 ホームレス騒動における生存権というのは...