2008-09-26

サヨクへの失望について

暴言を吐くサヨクに失望する人がいて、一方には喜ぶ人もいる。

シャカイを改善してくれるんじゃないかって期待してたのに…。

サヨクがそんな汚い言葉で人を罵倒するだなんて」って失望する人がいるし、一方

「ほら、サヨクなんて大体、昔からこんなもんだよ」って

したり顔で勝ち誇る人がいる。

これらの非難は、それ自体としては傾聴するには値しない。

勝手に期待して失望してろよ、みたいな。

だがこれらの言説は、サヨクウヨクの対立の在り処を示している点で、

興味深いものでもある。

左翼的な理念の究極の基盤は自律的個人であり、

仮にもしも人々が「十分に理性的」であれば

より良い社会が実現できるはずなのである。

右翼が依拠するのは、個人を超えた「全体性」だ。

コトワリを超えた何かが、世界を支配している。

もちろん、左右の対立は、カレースパゲッティのどちらを選ぶか、

というような対立とは異なるものだ。

それは左右というよりは上下の軸の対立だし、

円環を為すものだとも言える。

大衆はたいていの場合「中道」であり、ニヒリスティックである。

左翼って高潔な理想を語ってるけど、あなた方だってしょせんは同じ「人間」でしょう?と。

この理性に回収されない「残余」が、やがてナショナリズムに回収されるんかもしれない。

それはさておいても、ネットでも盛り上がる「理想論」の噴出

海外観光地での落書き糾弾するのとか)と、

図書館ホームレス論議における「本音」語り(誰だって臭いのは嫌でしょ?)と、

サヨクへの失望・嘲笑(ほら、やっぱりサヨクだって人間だ)との関係については

我々はてな非モテとしても注意深く考察していきたいです。以上。

  • 左翼的な理念の究極の基盤は自律的個人であり、 … 右翼が依拠するのは、個人を超えた「全体性」だ。 ふーん、非モテってこういう程度の頭か。

  • いわゆる社会的排除の概念を野放図に展開すれば、非モテであることも 生存権への侵害、人権問題だと主張出来るようになるのかも知れない。 ホームレス騒動における生存権というのは...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん