多分、誰にでもある事なんだろうけど。
私の目の前で。
信号を渡ろうとした所、(幅の有る国道だったので)渡っている最中に赤になってしまい、
事故の直後は頭が真っ白になった。
友達は結果腕の骨折のみで済んだのだけど、目の前で起きた事のショックと、
「痛い」と繰り返すその子の声に、当時の自分はただ怖がる事しかできなかった。
本人は痛みを堪えていたのに、私は動転して泣いてたように思う。
110番通報は近くにいた大人の人がやってくれた。
私はその間、痛がる友人に「大丈夫?」とか意味のない言葉を掛けるだけで他には何もしなかった。
その日は一日授業が頭を素通りした。
友達が事故に遭ったのは登校時刻。
私達は違う高校に通っているのだけど、二人とも同じ駅まで自転車で行くのでいつも待ち合わせをしていた。
国道を渡りきったところが、待ち合わせ場所だった。
その日、その子は少し待ち合わせ時間に遅れていた。
信号は既に歩行者の方が点滅し始めてから少し経っていたし、渡りきる前に赤になるかも、という予感はあった。
とっさに「止まって」と言った事も覚えてる。
同日中にその子の母親から電話がかかって来て、彼女の無事をハッキリ聞いてほっとした。
ただ、電話を切った後、彼女の無事を喜ぶだけじゃ済まなかった。
彼女の母親から「警察には「信号は青でした」って言ってね」と強く念押しされてしまった。
理由は、多分考えるまでもないんだろうけど。
私はいくらその子のことが好きで大事でも嘘はつきたくない。
警察に嘘をつく怖さもあった。
だって、はっきり目にしたのだ。
自分が「止まって」と言った事も覚えてる。
嘘はつきたくない。
でも素直に証言して、それをあの子の母親が、あの子が知ったらどう思うだろう。
悩んだ結果。
信号は点滅してから結構経っていたように思う。
けれど、余り良く覚えてないので自信が無い。
こう答えた。
怪我が治った後もやはり抵抗があったのか、その子は駅までの通学をバスに替えた。
顔を合わせるのが怖かった。
近場だけど、うちの引っ越しが決まって、更に会える確率は低くなった。
多分、私がどう警察に答えたかは知ってたと思う。
彼女にもなんだか申し訳なかったし、彼女の母にはやっぱり嫌われただろうか、とちょっと悲しかった。
私は彼女のお母さんが好きだった。
きさくで明るい人だったし、遊びに行くといつも優しかったから。
事故の事を言われたときは少し嫌だなぁと思ったけれど、
娘に不利な証言は欲しくなかったというのは分からないでもないし。
でも結局そこから私はあの子に会うのに後ろめたさを感じるようになって、会わなくなった。
元より当時は携帯電話がまだ普及していなかった。
結局、臆病な自分はお互いの携帯番号を知るまでろくにその子と顔を会わせなかった。
小さい頃、友達は自分の意思で選び、当事者同士以外には誰にも邪魔される事のない立場だと思ってた。
でも、この時初めてそうじゃないんだなぁと思った。
この時までそういう事にさらされなかった自分は、結構運がいい方だったのかも知れない。
今では数年に一度会う程度だけど、それでもやっぱり大事な友達には違いない。
ただ、今でも、あの事故がなかったら、私達は今よりももう少しいい感じの友達だったんではないかと思う時がある。